新垣隆「あの事件がなかったら音楽家として世に出ることはなかった」

あの事件がなければ、音楽家として世にでることはなかった?

僕の仲間にも才能ある音楽家がたくさんいるが、
なかなか世に出ることは難しい・・・

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2015年10月5日
✿徹子の部屋✿

新垣隆さん

新垣さんは18年前に徹子の部屋に出ていた!
バイオリニストの江藤さんが出演された時に
江藤さんの後ろでピアノを弾いていたのが新垣さんでした。
w(°o°)w
徹子さん、あの事件の時に
この人どこかで会ったことがある
と思っていたそうです。

当時を振り返り
すごく緊張していました
あの時、徹子の部屋に出させていただいて、
18年ぶりのテレビ出演があの会見だったんです。

ああゆう形で状況がエスカレートしていくとは思ってなかったんですね
自分の言い訳になるんですが
ばーっと広まってしまったんで、これは問題があることなので
何とかしなくちゃいけないなってことで。

学校の先生もやめようと思っていたけど、
生徒たちが「やめないで」と言ってくれた。

ほんとにその時は嬉しかったですね。

自分は音楽の活動はもうできないと思っていて
その中で学生達をはじめ多くの方々が応援してくれて、
またこのように活動できるようになりました。

お兄さんもピアノを一緒に習っていて
最初はおにいちゃんにくっついて、自然にピアノを始められた。
最初からピアノの音にすごく興味があったそうですね。
音符を描くのがすごく好きで、音符を書いたものが音になるということが
自分で驚きだった。

事件はみんなにとっても厭な気持を与えた事件だったし
ほんとにベートーベンは耳が聞こえなくて
どんなに苦しんだかわからないのに
そうゆうことで、あんな事件になっちゃって
ほんとに厭だなぁと思ったんですけど
でも、ああゆう事件がなければ、
新垣さんは音楽家として出てくるのが大変だったかもしれないですね


そうですね、なかなか音楽家として生活していくのは夢以上に難しいことで
私の仲間もすごく優秀な仲間がたくさんいるんですが、
みんなそれぞれ苦労して、それぞれ頑張っているんですが

なかなか音楽家としてやっていくというのは難しいことですね

昔の曲を演奏することはあっても、
新しい曲を日本人が作曲して、
それを例えばシンフォニーみたいなオーケストラが演奏してもらうっていうのは

難しいことだと思います。
でもああゆうことがあったので
逆に言えば、そうゆうオーケストラが演奏してくれるようなことがあって

よかったということもあるのかもしれないですね

実は新垣さんのお母様がお手紙を書いてくださっていました。
徹子さんが代読します。


隆へ
今あなたが生まれた時からのことを、ゆっくりと思い出しています。
産院からうちへ帰る道すがら、当時話題のボーイング機にちなんで
この子はジャンボベイビーねと私の姉と話していました。
4440グラムの大きな赤ちゃんでした。
小学校の低学年の夏休みでしたが、家族で海にでかけた時のこと
宿について部屋に入るなり、
ここにはピアノがないんだねとあなたは言いました。

浜に出て、海風に吹かれながら眺めていた海を題材に
帰るなり楽譜を書いていましたよ

数年前、私が病気で倒れた時、すぐにかけつけてくれて
左手がまったく使えなくなってしまったけれども、
やがて活動の場である東京を引きあげて、
近くに住んでくれるようになって

買い物、台所のこと、いろいろ面倒見てくれていますね
仕事で夜遅くなっても必ず訪ねてくれて
私のためにリンゴをすってくれたり

ペットボトルのふたを片手で開けられるように少しゆるめてくれたり
去年、大変なことがあったようだけれど
あなたは私達を心配させないようにか、多くを語らない
いつもと変わらぬ様子で面倒を見てくれている。
毎日がとっても忙しいようで、今はあなたの健康だけがとても気になります。
くれぐれもご自愛してください。
ありがとうね、母より

最後に徹子さんをイメージして作った曲を演奏されました。
穏やかな優しい素敵な曲でした。
戦争が始まる前の、楽しいことばかり日々を思い出すような曲だと言って
徹子さんは涙ぐんで、お鼻もかんでいらっしゃいました(*^_^*)


新垣さんというと、やっぱりあの事件で胡散臭い厭なイメージでしたが
今回の徹子の部屋を見て、本当に音楽が大好きな素朴な方なんだなと思いました。
ピアノの前に座った時に、急にキリッとする感じがすごく素敵です。
もういちど新垣のさんの作った曲を聴いてみたいと思いました。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。







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