金スマスペシャル★追悼「川島なお美さん」鎧塚さんが気持ちを代弁

金スマスペシャルに出演された鎧塚さんの言葉を記事にしました。

お医者様からは、眠るように逝くので、
「ドラマのようなああいったことはありませんので覚悟してください」
と言われたのですが、
頭をクッと上げて、僕の手を強くにぎりしめて、しっかりと僕の目を見て、
最後にふわっと魂を吐くというか

その時の目が、そうゆう話をするとみんな「ありがとう」と言ってるんですよと言うけど
その時、部屋には僕しかいなかったんですが、そうゆう目じゃなかったんですね
しっかりとして、「頼むわよ、がんばってね」というか、
しっかりした強い目だったんですね、

最後まで川島なお美で居続けた女房が、
何かまだ伝えたいことがあったような気がして、
ずっと一緒にいたのは僕ですから代弁というとおこがましいですが

それでこの番組をお受けいたしました。

最初、女房と会った時、私すごく不器用なのと言ってて、
英語を話して、フランス語も話して、絵もうまいし、

まさかそんなことないだろう、謙遜だろうと思っていたんですが、
一緒にずっと暮らしていくと、ほんと不器用な人だったんですね、
本当に努力して、努力して、女優と言うものにこだわっていたんですが、
そこまでやるかというぐらい練習していました。
稽古に入る時に、1日中やってました。
がんばるんだがんばるんだ、やるんだやるんだというのがあった。


真剣に癌とむきあって、癌に関してすごく勉強して、
その中で自分なりの道というのをちゃんと見つけていきましたね


泣くとか落ち込むとうことはなかったですね、
常に今起きていることをとらえて、じゃぁどうしたら治せるのか、
どうしたらうまく付き合っていけるのか、


舞台がもちろんあったんですけど、きちんと選択してきましたので、
女優と言う仕事を優先してしまったのは確かにありましたが、
亡くなってからも先生にいろんな相談しましたが、
「鎧塚さん、舞台が命を短めたんじゃないですよ、
舞台があったからこそ、あそこまで生きられたんですよ、と言われました。

女房は余命宣告は一切聞かなかったです、
お医者様がびっくりするようないろんな知識を本を読んだりして知っていました。
質問するようなことはありましたが、
あとどのくらい生きられるのかは絶対に聞かなかったです。


女房は何とか自分の力で良くしてやろう、
勝とうという気持ちがあったので、あえて聞かなかったんだと思います。

なんとしてでも治してやろうと思っていた。
それともう一つ、今となって思えばなんですが、
舞台って、1年先とか、そこまで詰まっていますよね、
事務所にも絶対に言わなかったんですよね、倒れるまで言わなかったです。
余命がどれぐらいなのかということを僕しか知らなかった。
そうすると女房がもし、余命宣告受けていたら、
余命宣告受けているのに、それを言わずに舞台を受けていたのかと、
女房は体力の限界まで、這ってでも舞台やると言ってましたから

僕は余命宣告を聞いてしまいましたね、いいのか悪いのか、
1年もちませんと言われたんですね、
ただ最後まで女房は自分の言う通りにしていた、
癌で亡くなるということは、痛く苦しく、
それは、抗がん剤治療が厳しいのと、もちろん個人差がありますが、
女房は自分が口にしてたこと、もちろん痛みはありましたが、
癌特有の苦しみみたいなものは全くなかった。
最後まできれいなままで、髪の毛もきれいで、
自分に添ったやり方をして潔くきれいに幕を閉じました。


一人でも川島なお美を見たいというお客様がいれば、
這ってでもやると言っていたんですね、
本当に這ってでもやったと思いますよ、
最後は肝臓が機能していないんで、血液がきれいにならないんですよね、
アンモニアが発生して、それが脳にきて

前の方が下がると、女房はもう衣装を変えて立っていないといけないのに、
前の衣装を着て出ようとしていたりとか、

最後だけなんですよ、最後のひと舞台だけなんです、
次のセリフが出てこない、どうしようどうしようと言っていても、
舞台に立ったらピタッとシャキッとやれたらしいんですよね、

これ以上は迷惑がかかるということで、
17日に降板が決定しました、
17日に僕が長野にすっとんで行ったんですが

その時に女房が泣きながら
「くやしい、くやしい、もっとできたはずなのに、
15日にうまくいって褒められたのよ、
そこで私ちょっと甘えが出ちゃったんだよ、甘えちゃったのよ」
って泣くんですよ、5ℓの腹水かかえて、意識朦朧としていて、
そこで甘えたなんて言うのは・・・

もう帰ろう、帰ろう、もうええって帰ってきて、
お医者様にもう2,3日が峠ですよと言われて、
それ以前は僕は止めたんですよ、喧嘩みたいにもなったんですが、
舞台の上で倒れたりしたら、はんはええかもしれんけど
迷惑かかるしそれはあかんのよ、
自分の体は自分で守らなあかんのよ、
それも勇気のいることやけどって言ったら、
珍しく、うんうんと言っていました。


絶対に弱音ははかなかったですね
20日に自宅にもどって、22日病院に入ることになりました。
そうゆう間際の方は自宅で過ごすというお医者様もいらっしゃって、
僕達の場合はどちらにされますか?と聞かれけど

女房は最後はどこで迎えるんだとか、
そんなことは絶対に考えていなかった、絶対に治るんだと、
完治は考えていなかったと思うけどそうゆう意識を持っていました。


まだまだ上に這い上がりたいと言ってましたので、
そこまでやらないと私は駄目だからって言ってました。

やっぱりね、似てるんですよ、だから僕はあんまり止められなかった。
僕も同じ立場だったら同じことをしていたと思います。
僕はお菓子という舞台ですが、立ち続けたと思います。


女房は本当にまじめだったんですが、
一途なところがちょっと、場違いな発言とかもあったのかな、
世の中の人からバッシングされたりっていうのはあったと思うんです。


本当に尽くしてくれるんです。
舞台終わったあとに、ヘトヘトになってご飯作ってくれるんです。
そのうち女房が変わってくるのかなと恐さはあったんですが、
ぜんぜん変わらなかったです。

楽しかったなぁ、毎日。病院でも冗談言い合って、
寿司食べたいっていうので、ただ寿司持っていってもおもしろくないから

僕が寿司屋に変装していったら、
女房がもうお腹痛いから笑わせないでっていうくらい笑ってました。


女房が亡くなったあと、ずっと一緒にいるじゃないですか、
言葉は返してくれないけど、もうありがとうしか出てこなくて、

ありがとうな、がんばったねと、でもやっぱりありがとうかな。

ファンの皆様、関係者の皆様へ

川島なお美が最後まで女優を貫きとおせたのも、
ファンの皆様、ご支援いただいた皆様のおかげだと深く感謝をしております。
女房は常に前に前にという性格でしたので、他界してしまいましたが、
まだ女房は新しいことにチャレンジするつもりでいると思いますし、
意をくんでいただいて、
女房のそうゆう姿を思い出として残してくだされば
こんな有難いことはありません。
ありがとうございました。

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