長渕剛NHK独占インタビューここからスペシャル「だからまっすぐ生きる」新成人に向けて、富士山10万人コンサートを終えて

俺という人間の思いが先で表現が先なんだ

常にまっすぐ生きる姿勢を大切にして歌い続けてきて長渕さん
その思いにせまりました。

インタビューここから
「だからまっすぐ生きる」

長渕さんの生まれ故郷は桜島で知られる鹿児島県です。

10万人ライブを終え、故郷に戻った長渕さんに
10代の頃から曲に勇気をもらってきた、
二宮直輝アナウンサー
お話を伺いました。

二宮さん
いつも長渕さんの曲に励ましていただいています。

鹿児島に帰ってきた時は
いつも山を見ながらいろいろ考えるわけさ

自然の中にいると本当にいいね
都会のあの、雑踏の中にいると
都会では聞こえない音が聞こえたりするから

鳥の声、風のささやきとかさ、空、ここは満点の星
流れ星がビュンビュン飛ぶからね
鹿児島はしょっちゅう帰りますね
煮詰まったらすぐに帰りますよ
友達もいるしね
なんか煮詰まるんだよね、都会にいるとね
帰ってくると、二日で元気になるよ

オールナイトライブの舞台となったのは、富士山の麓。
10万人と夜通し歌って迎えた朝、
長渕さんが歌っていると、突然朝日が顔を出しました。

ライブが終わって、あらためて振り返っていかがですか?

僕は覚えていないんだよ、あんまり
本当に、その、ただただ、
必死でやったっていうことだけはあって

やっぱり観客の最前列から最後部まで10万という距離感というのは
本当に僕の立っているところっていうのは
あそこの山のとがったところに人が立ってるっていう本当に距離的には
それぐらいの感じなんで、
それを1つに気持ちを束ねる自分の使命がありましたんで

富士に向かって夜通し叫び、最終的には朝日が登るという
そうゆうシナリオがあるわけですから、
これは作ったって出来ないんですよ、映画の世界じゃないんで・・・

富士山でやろうというのはいつごろからお考えだったんですか?

正確に言うと、震災直後なんですよね
震災直後にわりと早い時期に足を踏み入れたんですよね
まだまだ腐敗臭みたいなものがたくさん泥の中から匂ってましてね
それで、ぬめぬめとしてましたよ
その中にこう足を踏み入れた瞬間にね、
グルグル~っとこう、亡くなった人達のいたたまれない魂っていうのかな
もう、憑依しました。
その時にガーーーっと手足が硬直しましてね
それで、叫ぶんだね、魂達はね、
「おまえに俺達の気持ちがわかってたまるか!」ていうような
そうゆう無念とか、苦しみの断末魔の叫びといいますかね
そういったものが憑依してきますよね
その瞬間、僕も途中震えながら、気づいた時には奥歯をグッと噛みしめてました。

何十年も表現を人前でやらしてもらっていて
あの震災というものはとてつもなく過去、現在、未来に生きてる我々の
表現者としてのあるべき姿っていうものをしめなおさなさくてはいけない
というふうなことだったとゆうふうに僕は受け止めているんですよね

東日本震災から4年後
さきゆきの見えない時代の中、長渕さんは日本の象徴富士山の麓で
明日の幸せを願うライブを開くことを考えました。
共にするのは10万人、壮大なスケールの挑戦でした。
このステージを成功させるために、厳しいトレーニングを積み
体を極限まで鍛えた長渕さん
59歳、全てを出し切ったライブでした。

闘いの歴史や悲しみや喜びの歴史を全部知っている富士山に対して
我々が何といい、立ち向かっていくのか
それを10万の人達と一緒に僕も含めた民衆の1つの願いとして
「幸せになりてぇ~」と「俺達は欲しいんだ」何が?「幸せだ」
そうゆう思いを一晩かけて、その想念が自然神というものに
伝わるかどうか、賭けですからね
だけど、寂しいですね
めっちゃ寂しいね今
終わった瞬間
たまらなく寂しいよ
僕は10万人いても、お前に歌いたい、君に歌いたいていう
1対1なんですよ
僕もそのまっすぐな目をそらすわけにいかないので
100万人でも全部一緒
照明に文句言いましたからね
暗いんだ~って
見えないだと、客を照らせって
はるか向こうのやつにも伝えたいんだ
目の前のやつも泣いてるし、向こうも泣いてるんだから
そうすると暗いんですよ、向こうに立つ奴が
そうすっと僕は向こうまで駆けていかなきゃいけないんで
見えたいです
奴らは僕のこと米粒ぐらいにしか見えていないです。
僕も奴らのことを米粒ぐらいしか見えてないです
でも、その米一粒を無駄にできないですよ
そこが大切なんで、「照らせ~~!!」必死だったよね

鹿児島で生まれ育った長渕さん
曲づくりや、まっすぐな生き方に影響を与えたのは
母、マス子さんの存在でした。

金持ちとそれから貧乏人の差別が
心の中ではクソ~っと思うガキだった

なんであそこの外科医の息子んとこは誕生日に大きなケーキが出て
うちは小麦粉に水をまぜたかっぱ焼きなんだとかさ

母親が家計簿つけて大根一本
昇進しないあんたが悪いだって喧嘩になって
そのたんびに母がヒステリックな声と感高い声で
僕の耳の中に焼き付いてるのね、それからすすり泣く声よ
昭和の響きですかね、そうゆうのは。
母のすすり泣く声、雨どいをつたう雫を見るのがたまらくイヤだった
どんだけ貧しかったんだっていうような
むせび泣いてるようなすすり泣きなんだな、僕の中では。
もう聞きたくない。

ところがうってかわってその次の日にゃぁ
母が水源地に僕を連れて行って、おにぎりむすんでね、お味噌入れて
小高い、こう、切株にすわって、
太陽が沈むまで母はずっと黙ってるわけ
僕を手をつないで歩くそこまでの道のりが雲ひとつない天気なの
よく思い出すのよ、そこの葉っぱに水滴がついていて
雨上がりでキラキラしていてミツバチや蝶々がたくさんいて
それをはらいながら、つーちゃんおいでなんてさ。
手を引っ張って行った先に水源地があって
岡の上から下を見下ろすわけさ
下には暮らしの小さい明かりがポツポツあって
その時間になるまで母はそこにいるんだけど
僕は近寄れなくてね、昨日の修羅場を見てるし
悲しいんだろうなぁとか、何考えているんだとうなあって

おいでって言われて始めて横に座るでしょ
そうするとまた母が童謡みたいな歌を歌うんだよ
その響きみたいなものがなんかココに残っているんだな

それが今考えると童謡的なメロディてな
普遍性があって皮膚に染み込んでくるよな
それが僕がよく歌う、とんぼもそうかもしれない
乾杯もそうかもしれない、そうゆう誰もがふっと入っていけるような
メロディの原型になってると思う、母がくれたんだな。

僕ね、落ち着きのないガキだったんでね、小学校の時に
お習字と絵を習わされていたの
母に言われてね、いやでいやでしょうがないですよね
でも行かなきゃ怒られるから、一度サボったんですよ
平気でもなかったけど
そしたら母が、「今日絵行った?行ってないよね」と言われて
来いって手を引っ張られて先祖をまつっている仏様の前に行って、
反省しなさいって言われて、反省したって怖いだけですから
そしたら母が「手出せ!」ってお線香でヤキ入れられた。
体で教え込まれました

今は亡き母から教わった、
嘘はつかずに自分に正直に生きること、
そうした思いを唄い、多くの人から愛されている曲があります。

「Myself」
30代前半の長渕さんが作った曲です。
今回のライブを前にファン投票1位に選ばれた曲です。

自分自身をみつめ、まっすぐに生きたいと願います。

だいたいね、その曲の裏側にいたと思ってくれればいいんですよ
つまり、こうありたい、こうでなくてはいけないんじゃかという
思いが歌に表現されますよね
ていうことは自分の位置関係はどこにいたかっていうと
裏側にいたってことなんだよ

まっすぐ行けねぇんだという、俺が。
その苦しみ、あるいは怒りですよ、自分はまっすぐ行こうと思っても
そこの世の中の大人達の世界で仕事していくわけでしょ
こうゆう歌を書け、この歌を聞いたか?プロデューサーやディレクターは
ひどいことを言ったもんだね
当然、右も左もわからない僕はそれに準じてやりますよね
机の上で書いたものをテープに録音して
サッとアレンジャーに発注されるでしょ
こんな歌書いてないんだけど・・っていうアレンジじゃない?
なんだかその、どこぞのラジオから流れてきてもちっとも不思議じゃない音なんだ。
ところが自分としては違うんだ、この音は。
お金によりそって、その音楽は生産されていくのでありましたということに気づくのが
ちょうど30代入ってから
俺という人間の思いが先で、表現が先なんだ。
その表現を押し殺してまでその商業主義のCDのリリースを先にしてしまうってことが
僕の中では非常にまっすぐに生きていけないことでした。

まっすぐというのは自分の信念を貫くということ
社会という額縁、窓枠があるじゃないないですか、それが社会なんだ。
そこに常識、非常識というのがあるんですよ
自分の信念を貫いていくときに、常識非常識論で表現は関係ないですよ
非常識と言われようが、常識と言われようが
表現を追求するってことはそうゆう窓枠はないんですよ
何もない世界。
そこに自分の表現というのを追求していくっていうのは
いろんなことを揶揄されます、バッシングされます、石も投げられます
それでも自分自身が表現をしたいのかって自分が問うわけですよね
問うと、したいのだっていうふうに思うんですよ

仲間はたくさん増えてくると、俺らもそうなんだっていう響きが聞こえてきます。
なんだかよくわからない、常識非常識論がある窓枠のある社会で労働してるんだけど
冗談じゃねぇよっていう思いがものすごくあるの

長渕、お前そうゆう歌書けよ
という思いがツアーをやってねずっとイナカ、いろんなとこ回っていると
そうゆうものを感じるわけね、どこかで
そうすっと、ヨシ、書くぞっていうことになるわけ

だから、俺一人ぼっちだと思っていたんだと思いますよ、その時は。
東京出てきて誰もいねえんだもん
芸能界というフィールドの中にいると俺のような表現は
昭和から平成の時代には必要だったと思いますよ

邪魔なんですよ、もっとガンッといきたいんですけど
ガンといくしかないでしょ音で、パフォーマンスで。

年々、自分に課せられるパフォーマンスというのは
エンターティメントとしては、クォリティや完成度というのを求められています。
当然そこには努力というのがあります
それをきちんとやっていけば、そしたら
あいつ、ひょっとしてすごいんじゃねぇの?って
ちょこっと言われたりする

最近、長渕さんが力を入れているのが10代との若い世代との交流
ラジオ番組などを通して熱いメッセージを伝えています。

10代のまっすぐな瞳はね、宝物だよ
私の信じた道
俺の信じた道
私が正しいと思うこと
俺が正しいと思うこと
それを貫き通せよ
俺が先に社会に出てお前達を待ってるからな
早く出てこいよ、わかった?
思いっきり抱きしめてやるからな

悩む生き物なんです、10代は
悩まなきゃいけないんですよ
鉛筆の芯が折れただけで、うわぁ~どうしよう

若さは特に冒険できるその、宝物を持っていますよね
若さ、大いに無謀であれと思いますね
そうゆうことを一生懸命なんか、夢中になって
計算してるんじゃなくて、不意に出たことや、不意に表現したものを
直感を信じなさい。

直感に関してはまっすぐでありなさい
ぶつかった時に頭さげなさい、ここが大事だよね

自分が先に生まれて、いいことも悪いことも経験してきたんで
なるべくその中でよかったことを教えてあげたいと思うし
それから大人として、あんな大人にないたくないと思ってきた人間の一人なので
正直にいたいよね質問があれば単刀直入に答えたい

駄目なものはダメ
なぜか、こうだからというふうに10代の連中には答えてあげる
すなわちそれは自分の10代を抱きしめてやんなきゃどうすんだいってことですよ
僕自身の10代がそこにいます。
僕自身の10代がそこで悩んで
僕自身の10代がそこで泣いてるんですよ
僕自身の10代がそこで死にそうになっている
それは抱きしめてやれよってことですね、ちゃんと。
そこに大人という目線が入ってくると大義が入るので
君はねって学校の先生になっちゃうでしょ
そうじゃない、同じ目線になるはずなんですよ
そうだよねぇ俺さぁ、て一緒に涙出てきますよ

反抗していきますし
反抗する魂は未来永劫続きますし
幸せの歌が必要なら書きますし
死者たちの立ち位置に立った歌も書きますしね
とにかく、心のなんかね、躍動していくような
命に寄り添った形の表現というか作品を残していきたい感じです。

僕の作家としての欲望は歌よ残れということです。
僕はどうでもいいんですよ
母がいつか歌った夕焼けこやけのように
誰が作ったかわからない、でもそのメロディーだけがずっと何年も続いてる
鼻唄のようにね、そうゆう歌よ残れと思います。

新成人へのメッセージ

成人式おめでとう、長渕剛です。
あんな大人になんかなりたくない
僕が20歳のころ、心に誓った言葉を思い出します。
そっくりそのまま、みんなにもそう思ってほしい
常に反逆の思想、正しいことと、間違っていること
10代からつながっている君たちの心の中にある正しさとか
間違ってることへの怒り、こういったものを絶対に忘れないで
社会に出た第一歩から
こうゆうふうに(サングラスをかけて)、今に見てろよ、てめえら
あんな大人になんかなりたかねぇこんなふうに生涯信念を持って
10代の魂のまま、20代に
思う存分、暴れまわってもらいたい、そうゆうふうに思います。
僕は先に社会に出て、君たちが飛んでくるのを
待ち構えてます、抱きしめるから大いに自分の信念を持って
飛びかかってきてもらいたい、そう思います。

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