田村駒治郎「姫室の碑」と「献灯」は兄弟3人が服飾関係の神様に感謝【呉服神社】織姫伝説の池田市

田村駒治郎さんの記事は少し前に書いております↓
田村駒治郎は池田市が誇る偉人!公会堂を建てビリケンの商標登録、五月山の一部を寄付

呉服神社の記事はこちら↓
池田市の呉服神社は十日戒(えべっさん)初詣も!服飾関係の神社「呉織・穴織伝承」阪急池田駅のくれは神社


池田市には、安藤百福さん小林一三さんという偉人がおられますが
この田村駒治郎さんも池田市出身で巨額の寄付を池田市にされた
素晴らしい方なのです。
ちょうど小林一三さんと同じ時代を生きています。

田村駒治郎さんは池田市槻木で生まれ、父を亡くしたあと
今でいう呉春酒造に幼くして奉公に出ています。
そして繊維業界で大活躍され、巨額の富みを得、政界にも進出。
遺言により池田市に寄付がなされ、池田公会堂を建設しました。

そして、池田の呉服神社に「姫室の碑」を建てたのも
田村駒治郎さんと、その兄弟だそうです。

この「姫室の碑」は呉服神社で探してもわかりにくかったのですが
天神社の奥にありました。
しかも、囲いがあって近づくことができないようになっています。

大きな石には「姫室」と彫られています。
その前方には二基の献灯があります。
資料によると「姫室の碑」の裏には「大正二年九月建立 神田屋 田村駒治郎」と
掘られています。

大正2年というとちょうどビリケンさんを商標登録し
これからどんどん駒治郎さんが大きく伸び、
小林一三さんが電車事業を開始し、
そして安藤百福さんがお生まれになった頃のことです。

碑に向かって右の「献灯」は「大正二年十月建立 神田屋平松徳三郎」
徳三郎さんは三男で、伊丹平松家の婿養子となられました。

碑に向かって左側の「献灯」は「大正二年十月建立 神田屋 笹部栄吉」と
掘られています。
栄吉さんは4男です。

明治27年、駒治郎と弟の徳三郎が協力して
洋反物加工問屋「神田屋田村駒商店」を
創立し、
会社が順調に発展したので、大正二年に兄弟三人が共同で

服飾関係の神様に感謝するために「姫室の碑」を建てることになったそうです。


↑中に入れないので横向きしか写真がとれませんでした(^^)

↓こちら呉服神社の拝殿にはめ込まれているステンドグラスです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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