池田城物語②応仁の乱に参戦し落城から復活/大阪府池田市の歴史

池田城物語①池田氏のはじまり、藤原姓を名乗っていた/大阪府池田市の歴史

1467年
応仁の乱
がはじまります
この乱は室町幕府八代将軍の足利義政妻の日野富子
夫婦ケンカが元と言われています。

養子か実子かどっちを跡取りにするかという家督争いが原因で
なんと11年もこの争いは続きました(~o~)
                     ↓池田氏はこちらについた
    日野富子            足利義政
西軍 山名宗全(実子側) VS 東軍  細川勝元(養子側)

京都の真ん中で激しく戦い祇園祭は中止となり
途中で東軍西軍が入れ替わったり大変な戦いとなりました。

この戦いでは攝津をはじめ近畿各地で戦乱が起こりました。
池田氏は細川方として参加しています。
「世上の雑説条々耳に満つ。摂州の国民池田、上洛す。
細川の被官のものなり。馬上12騎、野武士千ばかりなり
門前を過ぐる間見物せしめ了」
と記録がありこの時以来、
細川家とは深い関係を持つことになります。

この頃の城主は五代目の池田充政(1428~1482)
充政は多才な名君であったそうです。

1469年 
西軍の大内軍から攻撃を受け充政の守る池田城は落城しますが
大内軍が撤退したことで復活します。
その後充政は桜井郷の代官職となり、大廣寺を再建して菩提寺とし
寺の後ろに望海亭を建てました。
池田城には三の丸、馬場、弓場を作りました。

③へ続く↓

池田城物語③/池田城落城で池田貞正が家臣とともに大廣寺で切腹、血天井/大阪府池田市の歴史

 

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池田氏についてさらに詳しく知りたい方はこちらをご覧ください(^_^)/

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