池田城物語④/久宗(池田信正)が池田城を奪い返す!/大阪府池田市の歴史
さぁ⑤です(^_^)/少し振り返ります。
家督争いで同族同士が争うことが多かったのですね
今でも親戚同士で争うことはよくあることで絶縁などよく聞く話ですが
殺し合っていたというのですからびっくりします。
池田氏の中でも同族争いはあったようですが
細川家の家督争いに巻き込まれて池田氏はえらい目に遭いました。
話が進んでくると、代が変わり名前が変わるのでややこしくなります。
細川勝元(そもそも応仁の乱で東軍の大将)
↓
細川政元(生涯独身で実子なし 養子をもらう→家督争い)
↓
(養子) (養子)
細川高国WIN VS 細川澄元
↓ (池田氏は澄元につく→切腹)
細川高国 VS 細川澄元WIN
(池田氏は城をとりかえす)
養子同士が勝ったり負けたりしながら壮絶な争いをし
それがいつまでも続きます。
そして・・・・
細川高国 VS 細川澄元 の争いは次の代へと続きます。
↓ ↓
養子/氏綱 VS 子/晴元
1531年
高国は澄元の子細川晴元と三好元長に摂津天王寺で戦い敗れ
その後捕らえられた高国は切腹。
「大物崩れ」と呼ばれて高国政権は崩壊します。
この頃、池田城主久宗だけでは仕事が手に追えなくなっていて
家老にあたる役職を一族の中から選んで就かせていました。
4人選んだので「四人衆」と呼ばれて、久宗を補佐していました。
1548年
なんと!池田久宗が切腹に追い込まれます。
一時期、晴元を裏切り氏綱についたことで
突然に切腹を言い渡されたということです。
久宗は降参して晴元に謝ったのでなんとか許されたのだそうですが
久宗の妻の父、三好政長が久宗をかばうどころか
あることないことを悪く晴元に言って
一回許されていたのに切腹となってしまいました。
この後、後継者問題で池田家が分裂する時期がありますが
久宗の息子、長正が8代池田城主となりました。
池田長正は三好政長の孫にあたるので
池田城は三好政長の思うままになり、宝物等も横取りしました。
この三好政長の強引なやり方に摂津の国人衆や
三好長慶(三好家の本家筋)が怒り
政長を攻め、政長は討ち死にし息子の政勝は行方がわからなくなります。
つづく・・・↓
池田城物語⑥/細川政権が終わる、池田長正の時代
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池田氏についてさらに詳しく知りたい方はこちらをご覧ください(^_^)/
戦国大名池田勝正研究所
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ♪
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(#^_^#)もう、ややこしぃ~~!!似たような名前やし
何代も争ってるから、誰が誰の孫とかわからん
しかしほんまに同族同士でここまで殺し合うとはなんとまぁ・・・
結局細川家の争いは澄元側の晴元が勝ったということですよね
でもその後、細川家は終わり、三好家へと変わっていくようです。
池田城の歴史をわかりやすくお話しにするなんて
これはもっと勉強しないとあかん(~o~)
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