建石町にある石敢当(石敢當)のいわれ/島田福雄/がんがら新聞/大阪府池田市/昭和55年8月3日


現実的なことだけを信じるという人は多いと思いますが
不思議なことスピリチュアルなこと、縁起物に興味がある人も多いはず
昔々は今よりもっと目に見えないものが身近であったのかもしれません。
庚申さんもそうですし、雨乞いも・・・
お宮参りや、厄払いなんかもとりあえずやっとこか(*_*)って感じですね
私は目に見えないもの(見えたりもしますが)があって当然だと思っています。

今日も「がんがら新聞」からのご紹介で、おまじないのお話しです(^^)/
「がんがら新聞」というのは昭和に発行されていた民間ローカル誌で
元毎日新聞記者の方が有志と発行されていたものです。

中岡嘉弘さんが持っていたコピーを最近いただきまして
図書館にもあるようなんですが、ご存じない方も多いのでは・・・
そう思い、読んでおもしろいと思った記事をご紹介しています。

今日も島田福男さん(昭和56年没)が書かれた記事です。
文字が薄くなってわからない部分は○にしています。
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建石町にある石敢当のいわれ 力士が魔除神となった話

今年の5月27日、私は池田で大変珍しいものを見つけた。
しかし総勢70名ぐらいの団体とつぎの目的地へ向かう途中だったので
残念ながら通り過ぎた。
そのあと、どうにもこうにも都合がつかず6月26日になって再び相まみえた次第だが、本回はその大変珍しいものについて書かせていただく。

ご年配の方ならお聞きになった経験もあると思うが、戦前は
「お宮さんの址や道筋の突き当たりに家を建てると、いずれその内に病気で死ぬか、家事で焼け出されるかでオジャンや」といわれたものだ。
ところが窮すれば通すで、必ず効くというオマジナイがあった。
恐ろしい火難、死難から逃れられるぐらいだから、さぞかぎょうぎょうしいオマジナイの方法かと調べると「石敢当(せきかんとう)」ただそれだけの文字を
石に彫って建てるだけ、
高さ二、三尺でOKというイージーさであった。
私はその石敢当を池田で見つけた。


石敢当については松平楽翁はじめ橘南谿、藤井貞幹といった好古ヘキの大先生が
「どこそこにあった」と鬼の首をとったみたいに報告しているのを見ると、
もともと多くはなかったらしい。
大阪市内の内でも戦前、毎日新聞の上田長太郎が調べた結果を雑誌「上方」に発表しているが、わずか三本という状態だった。また府下ではいっこうに見当たらぬというのが関係者の弁である。
したがって池田のそれは”大阪の三つを四つ”にするわけなのだが、
その近くに住む某さんは
「アレはね、阪急の小林おん大に勧められて土地を買い、家を建てはった薬屋の塩野義三郎はんがですよ、たまたま勝手門が道の突き当たりとなったので故事を知ってて建てはったもの。そやさかい、はっきりコピーだ」
と反対する。
だが、私は塩野氏の目的が庭園の景物ではなく、突き当たり道の魔除けという点からして当然”四つ目”に加えるべきだと考えている。

この辺で「石敢当」そのものを調べてみよう。
寛政12年(1800)エレキテルの平賀源内の門で雑学者の桂川中良が著わした随筆「桂林漫録」を読むと舞台は中国のむかし、むかし「璐央(ろおう)」が反したのでみんていは出奔、衝州で晋祖と遭遇する。
この時晋祖の監獄のガードマン○智遠は力士の石敢当をみんていのもとへ送った。

石はカナヅチを袖の中にかくして侍(はん)べる。晋祖とみんていが事を○っている時智遠が乱入してきた。敢当はかく闘して死に晋祖は帝の側近を全部殺したあげく国○をも焼いてしまう・・・」とあるが、
これでは石敢当が人名ということ以外、筋のほうは呑み込めない。石の死を「凶に逢うて吉(きち)と化(な)し悔をぎょして危(き)を防ぐ」とたたえている元もわからない。はっきりしていることは、だんだん敢当に関心があつまって、
石でその形をきざみ、その姓名を書いて道の守護神とする人が増えたということだけである。


唐の玄宗皇帝のお夢にあらわれた巨眼、多髭のおっさんが
「わが名はしょうき。みずからが姿を絵にしてかかぐれば病魔立ちどころに退散いたす」と告げたのと同じ口だ。

ついでなので大阪市内の石敢当におよぶが、下寺町と野江の戦後わからず、しかと目の辺りに出てくるのは住吉大社鳥居横のものだけだ。
住吉のには正面向かって右下に「満願堂」裏面に「天満九町目聖授金龍園薬店」と彫ってあるが、現在天満天神さん正面通りにそんな店はない。

アッ私はもっとも大切なことを忘れていた。
問題の石敢当の池田の在り場所である。

そこは建石町8-32だが、番地名でおわかりにくい向には逸翁美術館の前を北へおよそ百メートルの左側と申し上げたい。
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以上が↑福田先生の書かれたものです。

建石町にある石敢当は昭和47年頃に建立されたものだそうです。

「石敢當」や「石敢当」いろんな呼び名があるようです。
人の名前で石が名字です。
中国から沖縄に伝わったものらしく
沖縄にはものすごくたくさんこの石敢当がありますが
日本各地にもあり、アジア諸国にあるそうです。

魔物は、直進しか出来ないので、家にぶつかると、家の中に入り込んでしまい、
ぶつかった家に災いをもたらす、家の壁に石敢當を貼ることによって、
魔物は、直角に曲がり、家を避けてくれるという言い伝えがあります。
沖縄の道は狭く、T字路や、Y帯が多く、魔物がぶつからないように、
いろんなところに設置してあるそうです。

この記事を書くにあたって島田福雄さんはお亡くなりになっており
がんがら新聞もすでに解散しているため掲載の許可はいただいていません。
池田の歴史についてたくさんの人に知っていただきたいという思いで
このブログを書いておりますが、何かございましたら「お問い合わせ」から
ご連絡を宜しくお願いいたします。

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