今となっては幻の池田名物「ことまん」の生みの親
井関頼三氏をご紹介します!
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細川に住み、もともと材木業をされていました。
本町商店街で喫茶店を開業したのは1954年(昭和29)30代の時です。
サイフォンの使い方や豆のブレンド方法を一から問屋で学びました。
この頃では貴重なテレビの設置とコーヒーの珍しさで店は大繁盛✨
しかし、「テレビ喫茶」がいつまで続くのかを疑問に感じた井関氏は
流行しはじめていたソフトクリームに着目し、乳業士の資格を取得し、
すでに経営していた喫茶店の前で販売し、これも大繁盛✨
夏のソフトクリームに対して冬の商品を模索していたところ
難波で三笠饅頭の実演販売を見て「これだ!」と閃いた💡💡💡
ここから完成まではかなり苦労されたようです。
詳しくは「池田歴史探訪・中岡嘉弘著」に書いてます!
池田歴史探訪を増刷しました!中岡嘉弘/郷土研究/なかよし共同出版
試行錯誤を繰り返し、これが「ことまん」となる。
ことまんの名前は、最初は「寿焼きまんじゅう」でしたが
近所の「たけのや」という薬局の店主「黒松氏」がこの大繁盛を見て、
「寿焼きまんじゅう」から「ことまん」と命名したのだそうです。
昭和40年頃、池田駅前へ出店を決断。
旧富士銀行の並びに3階建てのビルを建てて、1階でことまんを販売。
ここでは当初1個20円で値段は高かったのですが
「味も、腹持ちも良く、値打ちがある」と大ヒット✨となり、
1日に7000個を売ったほどでした。
私も旧富士銀行の横でことまんを買った記憶があります(*^-^*)
昭和62年におしまれつつ閉店しました。
井関氏はスーパーの進出も積極的に受け入れたそうです。
「ダイエーさんなんかやったら、人呼んでくれまんがな」とおっしゃり
地元の商店が工夫し、スーパーへの人の流れを活用するべきだと考えた。
古くからの商人は保守的な気風が強かったと語っていました。
池田は「事始めのまち」とも言われ
織姫伝説やチキンラーメンはその代表的なものですが
ことまんもそれに並ぶ商品で、
井関氏は商売人としても素晴らしい先見の明を持つ方です。
今回、違うことを調べていてたまたま井関氏を知り、
多くの方にも知っていただきたいと思ってこの記事を書きました。
商人の神様と言われる斉藤一人さんの名言がぴったりきます(*^-^*)
「やってやれないわけがない、やらずにできるわけがない」