茨木神社と天石門別神社【同じ境内にふたつの神社は珍しい】茨木市

大阪府茨木市にある
茨木城跡地に建つ茨木神社をご紹介します(^_^)/

■住 所 大阪府茨木市元町4-3
■最寄駅 JR茨木と阪急茨城市の中間

なんと!ここは2つの神社が同じ境内にあるということで珍しく
パワースポットと呼ばれているのです!!

茨木神社の本殿の後ろに、天石門別神社(アメノイワトワケ)がありまして、、
同じ境内に末社ではない、二つの神社があるのは全国でも稀なのですって!

天石門別神社が延喜式です。

すごくわかりやすい記述があったので引用します
天石門別神社は元は別の場所(宮元町)にあったのを、
織田信長さんに焼かれないために、
今の場所へ移動してきたようです。
けれども移動するだけでは安心できずに、
牛頭天王を祭って、織田信長さんの焼き討ちを
逃れた、というのが天石門別神社の歩みのようです。
ちなみに、その場しのぎのような感じで牛頭天王様を
祭ってみたのが、今の茨木神社のようです。
(梅花女子大学様)

御由緒(茨木神社ホームページより抜粋)

茨木神社の由緒書によると
「807年坂上田村麻呂が荊切の里をつくりしとき、
天石門別神社が鎮座された」
と伝わります。
この「荊切の里」は、今の宮元町付近と伝えられています。

天石門別神社を創祀した経緯や情況、坂上田村麻呂公との関係については、資料がなく明らかではありません。

927年に編纂された延喜式巻第九に摂津国嶋下郡十七座の一つとして、天石門別神社の名が記されています。
天石門別神社は茨木神社の本殿の奥にあります。

中世に入り楠木正成公が村近くに砦を築いて後、
戦国時代には城郭が整えられ惣構形成の過程で、
茨木村はそれまでの農村的集落から城下町へと変貌し、
天石門別神社も現在地へ奉遷されたのでした。

1798年 社伝によると高槻城主高山右近が、
織田信長に倣い神社仏閣を焼却するに際し、
信長が天照大御神、春日大神、八幡大神及び牛頭天王(素盞嗚大神)の諸社は焼くべからずとしたので牛頭天王を祀ると詐称して焼却を免れたと伝えられています。


茨木市役所から歩いてすぐの場所に茨木神社はあります。
なんかこの辺りは公園にもなってて街中なのに緑がいっぱいで、
癒やされるいい感じですね♪


広くて立派で清々しい神社、鳥居は明治35年のものです。
人の出入りはありましたが、そんなに多くはないです。
地域の方がお買い物帰りに寄ったりする、地元に愛されてる感じですね♪


なんと!令和の大造営ということで、ご本殿が工事中でした。

茨木神社と天石門別神社(アメノイワトワケ)の二つの名前が掲げられています。

↓こちらが仮本殿です。
茨木神社
■御祭神 建速素盞嗚尊(タケハヤスサノオノミコト)
■配 祀 誉田別命(ホムタワケノミコト)天児屋根命(アメノコヤネノミコト)

仮本殿の横にあるのが天満宮 主原神社 多賀神社

皇太神社 祭神は天照大御神
もとは現茨木市上中条に祀られていましたが、
明治41年6月13日に合祀令により合祀されました。
工事中の本殿を横を通ります、大がかりな工事の様子でございます、、、


↓まさしくこちらが、延喜式天石門別神社(アメノイワトワケ)です。

天石門別神社(アメノイワトワケ)
■御祭神:天手力男命
■配祀:天宇受売命 豊国神・東照神
茨木神社の元宮であり延喜式内社です。
元は今の宮元町に鎮座されていましたが、
茨木城築城の際に現在の地に移され、明治12年に郷社に列せられました。
昭和49年に氏子崇敬者の浄財によって神明造の社殿に改築造営された。

皇大神宮 祭神は天照大御神
稲荷神社 祭神は宇迦御魂神・猿田彦命
耳が少し欠けて可愛そうな感じ、、、



黒井の清水 豊臣秀吉の茶の湯にも供された清水なのだそうです。
赤井の清水・青井の清水とともに古くから嶋下郡三名水と言われている。


愛宕神社 祭神は火産霊神


                 こちらが茨木城の茨木城の搦手門

”からめてもん”と読みます(^_^)/


厳島神社 祭神は市杵島姫命
茨木神社の厳島神社の創建は不詳ですが、
茨木の地が陸路・水路の要衝の地であったことから、
また町衆の商いの発展を願ってお祀りされたのではないかと思われます。
↑この酒樽があるとこが恵比寿神社です(^_^)/

最後までご覧頂きましてありがとうございました。
神社奥には梅園もあるそうですよ

令和の大造営、安全に事業完遂しますようにお祈りいたします。

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