ノスタルジックな小浜宿をブラブラお散歩の総まとめ/宝塚市

このブログは介護職員である私が
介護施設の利用者さんにも見ていただきたく書いておりますので
親しみのある、やさしい表現になっています(^^)

ある時は介護職員、ある時は旅人のシノハラです♪
今回は2021年の初秋に宝塚の小浜宿を探検してきたまとめです。
めちゃくちゃいいとこでした!最後までお付き合い宜しくお願いします

小浜宿(こはまじゅく)とは♪
室町時代後期から江戸時代に栄えた有馬街道の宿場(しゅくば)の一つで
京伏見街道、西宮街道も通り、交通の重点な場所でした。
名水「玉の井」の地で酒造が発達し、大工衆の町としても名を馳せた。

場 所

●阪急宝塚線売布駅から徒歩10分くらい

●公共交通機関の場合のお薦めの行き方
 行き 宝塚線売布神社から歩く 
 帰り 阪神バス「小浜」から宝塚へ、阪急電車乗り換え 

阪急宝塚線宝塚駅から阪神バスが出ています。大人220円。

私は車で行きましたよ(^_^)/
小浜の信号を住宅街の方向(ゆるやかな坂)へ行くとコインパーキングがある

このあたり↓に「P」が見えてますよ!

小浜宿に来たぞーーー!って感じがします♬☻☻♫•*¨*•.¸

親切な案内図

この案内図はとってもわかりやすい!資料館でもらえますよ♪

まずは小浜宿資料館へ!(月・火は休み)

資料館には、とても親切な案内の方がおられます!
ビデオを見たり、展示物を見学したりできて、地図とか資料をもらえます。

■住 所 宝塚市小浜5-6-9 ℡ 0797-81-3655
■観覧料 無料
■開 館 10時~15時
■休館日 月曜日・火曜日 年末年始 整理日

小浜宿のことを簡単にお話しすると(^_^)/
室町時代に浄土真宗の毫摂寺が建てられたとこから始まります。

この町全体が、お寺の境内としてみなされていました。
これを寺内町(じないちょう)といいます。
大阪や京都から有馬などを結ぶ交通の重用な拠点だったことから
宿場町として、大変栄えました。

戦国武将である山中鹿之助の孫の山中 清直が分家して小浜に住み、
酒造業を始め、江戸への下り酒として大変重宝され繁昌しました。


その後、小浜の山中家は医者として続きますが、
平成18年まで子孫が暮らしていたお屋敷を

宝塚市が買ったり、寄付されたりして、今は資料館となっています。

資料館の横にある山中家の庭には井戸「玉の井」がありました。

さぁ、小浜のことはだいたい頭にいれて
いざ小浜宿の探検です♪わくわく( ・◡・ )♫•*¨*•.¸¸♪

戦国時代は堀に囲まれたお城のような存在だった毫摂寺!

まずは毫摂寺に行ってみました。
豊臣秀吉が有馬湯治の際、千利休を伴いこの毫摂寺に宿泊し
山中家の井戸「玉の井」の名水で茶をたてたと言われています。

土塀には定規筋と呼ばれる最高位の五本の線が刻まれ、格式を誇っている。


■山 号 出雲路山
■宗 派 浄土真宗本願寺派
■御本尊 阿弥陀如来
■開 基 善秀
■住 所 兵庫県宝塚市小浜5-5-12

亀姫の悲しいおはなしが伝わっています。
豊臣秀吉の養子、秀次が有馬湯治の際に毫摂寺に宿泊し、
寺の次女である亀姫を見初めて側室(小浜の局)としました。
しばらくは幸せな日々が続いたようですが、、、
秀次が失脚・切腹すると、妻子や他の側室とともに亀姫も三条河原で処刑され、毫摂寺も焼き打ちにあいました。


愛宕さんの東門跡

戦国時代は毫摂寺は、お城としての役割もしており
小浜宿の東・南・北には門がありました、その名残りです。
上側の祠は防火の神様、愛宕さんです。
池田の五月山にも愛宕神社があって、がんがら火祭りは愛宕火の祭です♪

法仙寺

戦国武将「山中鹿之助」の子孫にあたる、
酒造業で冨を得た山中 清直氏(やまなか きよなお)のお墓があります。

■宗 派 浄土宗 知恩院派
■山 号 長寿山

■ご本尊 立像の阿弥陀如来 極楽浄土[ごくらくじょうど]の仏様
■開 基 沙門法仙 
(しゃもん)

羽を広げ、今にも飛び立ちそうなかっこいい屋根!

昔は浜だった!いわし坂

このあたりは、ずっとずっと昔は瀬戸内海の浜だった時期があるそうで
小浜宿の北門に至るいわし坂は、ナント!
いわしの荷揚げ場だったことに由来しているようです。

まるで森林浴のような緑に囲まれた道、、、あらいぐま出没注意の看板も!

ベンチが置いてあったり、お地蔵さんがおられたり
気候がよければ、ここでのんびり鳥の声を聞いていたい雰囲気♪
春には桜の名所として多くの人が訪れます。

庄屋さんのお屋敷 旧和田家住宅

町並みにしっくりと馴染んでいるので
こちらが特別な住宅という感じはそんなにしなかったのです。

■住 所 宝塚市米谷(まいたに)1丁目8番25号
『米谷』は、売布神社に祀られる下照比売神(シタテルヒメ)が

この地に稲作を伝えたことより呼ばれるようになったと言う説があります。
■開 館 午前10時~午後3時
■休館日 月曜日・火曜日・年末年始・整理日

平成まで、この家の末裔である和田さんが暮らしておられましたが
今は宝塚市に寄付されて、市の有形文化財とされて
見学できるようになっています。



こちらにも、係の方がおられて、とても丁寧にご案内していただけました。
お屋敷に上がって、隅々まで見学ができます。


こちらの和田家は代々、旧米谷(まいたに)の庄屋をつとめていたので

大量の古文書も所有していて、
宝塚市の建築史や、近代史をさぐる上で重要な家屋なのだそうです。

大正時代のオルガンがありました♪今も弾けるそうです。

本妙寺

小浜宿の南北を通る有馬街道沿いにある日蓮宗のお寺さんです。

■宗 派 日蓮宗の一派である法華宗本門流(本山は本能寺)

■御本尊 本門八品上行所伝の南無妙法蓮華経
     (ほんもんはっぽんじょうぎょうしょでん)

黄色い鳥居が印象的な皇大神社

伊勢神宮のご神体を崇め、天照大神(アマテラスオオミカミ)をお祀り。
武庫川の氾濫で大破した見佐神社を合祀(ごうし)しています。


■創 建 不詳だが、1441年と伝わる

■御祭神 天照大神(アマテラスオオミカミ)天児屋命(アメノコヤネノミコト)
■御神徳 産業振興 寿命長久 学芸成就
■例 祭 10月25・26日には「小浜だんじり祭り」が行われる


本殿はなんと!江戸時代後期の建築で、切妻造瓦葺(きりづまづくり)

平成18年(2006年)に兵庫県登録有形文化財に登録されたました。
写真は拝殿で、この後ろに本殿がありました。

ぐりんと曲がった巨大なムクの木は、市の保護樹木に指定されています。
木の幹がぞうや鹿などに見える変った御神木です。

珍百景と言われる首地蔵

西宮街道(馬街道)をてくてく♪歩いていくと
古墳みたいなこんもりした小高い公園みたいな場所があって
そこに首地蔵さんはおられます(^_^)/

少し調べましたら昭和50年に古い首地蔵さんが放火にあって

右目や口の一部が欠けたので新しい方は地元の人が寄進したとのことです。

お首だけで1メートル30センチ、耳だけでも60センチあるそうです。
こ、これは、、、珍百景と言われてるのも納得の光景です。
しばらく、呆然と立ちすくんでしまいました、、、

首地蔵さんは、古くからこの場所におられるそうですが
古文書などにその記録はなく、様々な説があるものの誰がいつ作ったのかはわかりません。
お地蔵さんが雨に当たらないようにお堂を建てようとする度に大工さんが病気になってしまったため
「このお地蔵さんは外にいたいのだろう」と、、、
ずっとお外におられるのだとか。


お付き合いありがとうございました。
これにて、小浜宿のお散歩は終了です。人が暖かい、いい町でした~!!

小浜宿は阪神淡路大震災でかなりの被害を受けていて
町の様子が一変したと、資料館の方は残念がっておられましたが
充分に江戸時代の面影を残した独特の雰囲気のある町で、
一日かけてのんびりゆっくり見て歩くのにちょうどいい感じでした。
食堂や喫茶店がなかったと思うので、お弁当を持っていくのもいいです。

さぁ、次はどこに行ってみようかな♬☻☻♫•*¨*•.¸

それぞれの場所ごとに詳しく書いているので見てね!

小浜宿のいわし坂は売布神社から歩いて行ける異空間/宝塚市

小浜宿の毫摂寺(ごうしょうじ)は亀姫の悲話が伝わる

小浜宿資料館は山中鹿之助の子孫の館/親切な案内人がいる/宝塚市

小浜宿の衝撃すぎる首地蔵と谷風岩五郎の墓

小浜宿の皇大神社は黄色い鳥居と不思議なムクの木がある

小浜宿の旧和田家住宅は庄屋さんの家/大正時代のオルガン

小浜宿の東門跡と道標と法仙寺/宝塚市

小浜宿の本妙寺は有馬街道沿いにある

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