織姫伝説はどこまでが事実?1700年前に中国から衣服の技術を伝えに来た女性の物語/大阪府池田市

「くれは・あやは」の織姫伝説は
池田市では紙芝居やファンタジー童話になっていますが
実際のところ、本当にわかっている事実はどこからどこまでなのか
簡単に書いてみたいと思います。

池田郷土史研究家の中岡嘉弘さんが書かれたブログ
「北摂池田の郷土研究」を参考にしています。

古墳時代308年、池田に茶臼山古墳などが出来た頃
15代応神天皇(おうじんてんのう)は
日本に染色や縫製、織物の技術がなかったので
中国から渡来していた「阿智王(あちのおみ)」と息子の「都加王(つかのおみ)」に技術者を中国から連れてくるように頼みました。

この親子は西宮付近から船で出発しています。
天候を見ながら沿岸・島伝いに瀬戸内から博多へ朝鮮半島の西沿岸を伝い、
黄海を渡り黄河又は長江(揚子江)の河口に入り
河をさかのぼって都に至る航路でした。
かなりの日数と危険を冒しての道のりでした。

親子は北朝鮮の久礼波・久礼志(くれは・くれし)の2人に案内してもらって
呉(ご)に到着し、衣服を作る技術に優れる女性4名を賜りました。
兄媛(えひめ)弟媛(おとひめ)呉織(くれはとり)穴織(あやはとり)です。
※呉は中国江蘇省の蘇州・上海・南京の辺りにあった国

313年、一行は筑紫(福岡県)に到着し
そこで宗像大神(むなかたおおかみ)が兄媛を欲しいと言ったので差し上げて
残りの3名を連れて武庫の湊(西宮)に入港しました。
出発から5年の歳月がかかりました。
※宗像大神は三人の姉妹神です。

しかし帰ってみると応神天皇はすでに崩御(亡くなっていた)していたので
仁徳天皇に奉った(差し出した)ということです。

兄媛は福岡県に
弟媛、呉織、穴織は西宮に到着。
ここまではだいたい事実で、
その後のことはどうなったのかわかっていません。

中岡嘉弘さんが古文書の会でおりひめ伝説について語っています。



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おはなし/篠原利香 監修/中岡嘉弘

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