昆陽寺は朱塗りの山門で行基ゆかりの古刹/伊丹市

伊丹市の真言宗のお寺 
崑崙山(こんろんさん)昆陽寺をご紹介!
地元では「こやでら」「行基さん」と呼ばれ親しまれています。

僧の「行基」が建てたと言われ、行基建立四十九院にも入っています。
久安寺とちょっと雰囲気が似てるかなぁと思いましたのは
同じ真言宗で、行基ゆかりのお寺だからなのかもしれません。
住所/伊丹市寺本2丁目169


731年
行基が昆陽池を造成するのと並行して
貧民救済を目的とした「昆陽施院」を創建したのがはじまり。
(池田の久安寺は724年に行基が創建したと言われています)

1579年
有岡城に籠城する荒木村重と、織田信長の「有岡城の戦い」に
巻き込まれて焼失しましたが、後に再興されました。

1995年
阪神・淡路大震災で大きな被害を受けました。

行基 天智天皇7年(668)~天平21年(749)
奈良時代のスーパー僧侶で、仏教の布教はもちろん
各地で池・橋をつくり、堂を建てるなど、社会事業を行った人物。
当時一般の人々へ、仏教を広めることを禁じていた朝廷は
717年に行基を弾圧し、布教活動を禁止していた。
743年に、東大寺に大仏をつくることが決まると、
大仏づくりに必要な資材や労働力を得るため、
朝廷から協力をもとめられ、

745年、大僧正という僧として最高の くらいを授けられ
奈良の大仏づくりにも協力しました。


さぁ♪めちゃくちゃ立派な朱色の山門です(^^)/
昔は、遠くからも目につくものだったようですが
今は門前を国道171号線(西国街道)が走っているため、
遠くからは目立たなくなっています。

とりあえず、自転車を停める場所を探してうろうろするけど
駐輪場らしきものは見当たらず、山門前に置いておくことに。
(池田市伏尾台からはるばる自転車こいで行ってまいりました(^^)/)
ネット検索すると、無料駐車場があるそうですが、、、

めっちゃいいお天気です!


1655年 – 1658年に建立。
元々こちら↑は第二門で、
第一門は2km以上南方の尼崎市の富松神社付近にありましたそうです。


金網越しなんで、よくわからないなぁ↓
金剛力士像は厳重に守られております、、、


門に入ってふり返ってみると、、、
こんな感じでお写真(パネル)がありました↓
な、なぜにお写真なの?、、、調べてみましたら


伊丹市文化財ボランティアさんのHPによるとですね、
兵庫県の指定有形文化財として、
もと山門にあった二天像(広目天・多聞天立像)が指定をうけています、、、
というのは、このパネルの像のことなのかな。
等身で、像高は広目天が173cm、多聞天が164cm、
おおらかな表現と一本造りの古風な技法から
11世紀に京都の有力仏師によって造られたと考えられます。
今は、行基堂内に保存されているようですね。


境内から見た山門
威風堂々としております。

わかりやすい大きなご案内がありました。

本堂(瑠璃殿)は、山門からまっすぐの所にあります。
開山行基菩薩自作の薬師如来を安置 
この石碑は門のとこにありました。

手水

境内広くて、見てまわるだけでけっこう時間がかかりますよ♪
石で囲まれているのは役行者、宝篋印塔や石仏も並んでいます。

ご案内は、並んでる順番ではありません(~o~)

あちこちに宝篋印塔のようなものがあります。


稲荷大明神

素敵な柄の前掛けをされています。

山鳥の ほろほろとなく聲きけば
    父かとぞおもふ 母かとぞおもふ  行基作歌

観音堂


なんだろう?犬に見えるけど、、、

マイブームの屋根瓦(留蓋)かわいいけど、困ってる感じ、、、

行基堂
本尊行基像  脇持に文殊菩薩、普賢菩薩。
阪神淡路大震災で被災しましたが解体修理後、平成十年に完成。
屋根の上の大きな宝珠が印象的です。
向かって左脇に奉安されている「賓頭盧尊者」は表情がなんともいえない
目が今にも動きそうでした。



忠魂碑は兵隊さんがおられます。

白長大明神 しろへびさんの神様のようです。


石橋のむこうに弁天道、放生池はなんだかじめっとした感じです

これがたぶん、、、行基塚

大師堂


林の奥にこんな参道が、、、とにかく広い!

新四国八十八ヶ所霊場
広い林みたいになってるとこに、小さなお地蔵様があちこちに点在していて
順番にお参りできるようになっています。
木々で鬱蒼としてるので、そんなに暑くないです。


鐘楼

今昔物語は鎌倉時代に書かれた昔話なのですが
その中に昆陽寺の鐘のお話しがあります。

昆陽寺にみすぼらしい老人が訪ねてきて、
「寺に一泊させてくれないか」と願い出ましたが
寺の僧は部屋へ通すことはなく、鐘楼ならば寝てもいいと言い
老人は鐘楼で一夜を過ごしました。

翌朝、僧が鐘をつくために鐘楼に行くと、
老人はかわいそうに、冷たくなって死んでいました。

僧達が騒いでいるところへ、3人の旅人がやってきて
「老人が来なかったか?」と訪ねるので
昨夜それらしい人が来たけど、鐘楼で泊まり、今朝死んでいたと話すと
3人はあわてて鐘楼へ行ってみた。

それはまさしく追いかけてきた自分達の父親だった。
彼らは泣きながらその弔いをするために
寺の外で火を焚いて通夜をしていました。

その翌日、僧が鐘を撞きに行くと、なんと!鐘がなくなっていた。
大きな鐘が一夜にしてなくなったのを不思議に思い
若い僧が近場を探していると、昨夜死人の弔いをしていた焚き火の跡に
鐘がとけているのが見つかったのです。


西門

日本全国、あちこちに行基が創建されたとされるお寺がありますが
行基は大昔の人なので、そのほとんどが伝説とされています。
しかし、この昆陽寺や、昆陽池については
伝説ではなくて現実性が高いと言われています。



昆陽寺のまわりを散策に行ってきます( ・◡・ )♫•*¨*•.¸¸♪
山門からは石畳みたいな道が川沿いに整備されていますよ

グーグル地図で見たら、近所にお寺と神社があるはずなのよ

スポンサーリンク
Sponsored Link
Sponsored Link

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする