初午(はつうま)の由来『池田の初午』/池田市

京都の伏見稲荷大神が降った日
旧暦2月の最初の午の日に行われる稲荷社の祭り🦊
初午(はつうま)とは、、、
稲荷神社を参り、五穀豊穣を祈るお祭りなのです(^^)/
ご利益は商売繁盛、産業興隆、家内安全、交通安全、芸能上達

池田ではどのように「初午」を過ごしたのでしょうか?

池田では江戸時代頃から稲荷信仰が盛んになってきて
伊居太神社でも1811年に境内に稲荷を勧請し、
翌年の初午には多くの参拝者が訪れています。

池田の商人は初午によく妙見さんへ出掛けたそうです。

池田市史5巻に記述がありましたので、見てみましょう(^^)/

上池田

上池田の九頭神へ稲荷寿司、赤飯、うすあげにお神酒をあげてから城山へ行き、「山行き」しました。
山ではめいめいにござを敷いておじゅうを開いて豆ご飯、ごんぼ、こんにゃく、すあえ、からしあえ等を食べて、飲めや歌えやで日没まで過ごす。
九頭龍神社

綾羽

黄、赤、ピンクの旗に「正一位稲荷大明神」と書いたのを持った子供達が
各家を回り、「ショウイチイイナリダイミョウジン オイナリサンナラ ドコマデモ」とはやしながら回った。
子ども達が回ってくると、赤飯の大きな握り飯と生姜糖を与えた。
稲荷🦊は町内の出雲大社に祀られていました。

城山

「正一位稲荷大明神」のノボリを立てて祀る。
昭和初期に盛んになりました。

吉田

一月のハツウマには吉田公園にあるお稲荷さんに、
お神酒、赤飯、あげ、お菓子を婦人会の人達がお供えする。
細川神社の宮司にご祈祷してもらう。
これが済むと婦人会みんなでお供えをおすそわけし、
稲荷の前でにぎやかに過ごす。
忙しい時はニノウマでもよい。二月に行うことも多い。
「ハツウマの日が立春に近い年は家事が起きる。だからそんな年はニノウマの日に稲荷の祀りをする」
吉田公園のお稲荷さん↓

古江

Mさんの屋敷の山手にお稲荷さんが祀ってあって、
子ども達が「正一位稲荷大明神」と書いた旗を持って、
「イナリダイミョウジン」「イナリセンギョ」「オイナリセンギョ」と
声を出して鐘などを持って山の方や村の中を回りました。

あとでMさんからお菓子をもらった。

秦野

稲荷祭りがあって、家の稲荷の祠や天満宮の稲荷に「正一位稲荷大明神」と書いた旗をあげてお祀りをしました。
畑天満宮のお稲荷さん


正一位稲荷大明神とは?

お稲荷さんの祠に赤い旗が立ってて、
そこに「正一位稲荷大明神」と書いてあるのは見たことがあるのですが、
これは一体どうゆう意味なのでしょうか?

正一位とは(^^)/
京都・伏見稲荷大社の祭神(宇迦之御魂神/うかのみたまのかみ)に
朝廷から授与された神階なのです。
この神階が全国に勧請、分祀された稲荷社に広まった。

さてそのいきさつは、、、
京都の東寺に五重塔の建立が開始された827年、
淳和天皇は突然病気で臥せられた。
病気の原因を占いでみてみると、なんと五重塔建立の材料として
(伏見)稲荷山の神木を伐った、「たたり」だとわかりました。

天皇は早速、稲荷山に使者を送り、それまで位階のなかった稲荷神に
「従五位下」の神階を授けて怒りを鎮められた、ということです。

神階は、稲荷神の神威を誇示し、その後、だんだんと昇進して、
942年には朱雀天皇より最高位の「正一位」の神階を授かりました。
そして伏見稲荷大社の祭神(宇迦之御魂神)は「正一 位稲荷大明神」と呼ばれるようになりました。

2021年の初午は

2021年は2月3日になります(^^)/
2022年は2月10日

初午の日には池田市内のお稲荷さんにお参りしたいですが、、、
今年は緊急事態宣言が出ていますので、来年は是非とも(^-^)


参考文献/池田市史 昭和初期の池田 

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