池田では「ゆなおつい」という言葉が記録に残っています。
「ゆなおつい」とは今まで聞いたことのない言葉です。
「ゆな」とは「エナ」のことで「エナ」とは
出産の時に母親の体から出てくる胎盤のことらしい。
コトバンクによると・・・
胞衣とも書く。後産 (あとざん。→胎盤 ) のこと。イヤ,イナなどともいう。以前はエナは土中に埋められたが,その埋め方が,生児の一生の安危にかかわるものと信じられ,また,埋め方が悪いと,生児が夜泣きするともいわれた。その埋め場所は,人に踏まれないところがよいというのと,その反対によく踏んでもらうところがよいという2通りの説がある。前者は大黒柱の下とか産室の床下,墓,便所のそば,厩 (うまや) のそばなど,後者は土間の上り台の下とか,敷居の下などが選ばれた。埋めた上を最初に通ったものを,生児が一生恐れるというので,父親が最初にまたぐという例がある。また他人に踏んでもらえば生児がまめに育つとか,産後の肥立ちがよいなどという。エナは,布やこも,油紙などに包んで埋めたが,壺や瓶に入れて埋める例もある。
このエナは信仰の対象でもあり、日本各地で色々な方法で扱われたが
お墓や家の玄関付近に埋められることが多かったと言います。
現在でも各地域の条例でで胎盤の取り扱いは決まっていて
勝手に捨ててはいけないルールになっているそうです。
稻束家では
猪名川の川原に埋める風習があったといわれています。
綾羽では
ゆなおついの記録はない
産婆がいた。
夜泣き、かんの虫を治してもらうために城山町のFさんで鍼をしてもらう
建石町・上池田では
ゆなおついの記録はない
トリアゲバアサンが取り上げた
家によっては出産の時に東京の水天宮のお札を飲みロウソクに火をを灯して
消えるまでに子供が生まれるとされた。
室町では
ゆなおついの記録はない
家で産婆さんに取り上げてもらうことが多かった。
室町4丁目のM産婦人科は名医と評判が高かった。
城山町では
ゆなおついの記録はない
お産の時は青い魚を食べてはいけない
血が若いから物を読んではいけない
東山では
家人が夜間に墓地の傍に捨てたが、これを人に見られてはいけないと
されていました。
昭和35年頃まで産婆に取り上げてもらっていた。
伏尾では
お墓の井戸のような穴が掘ってある場所に捨てました。
お産は昭和28年頃まで東山の産婆さんに頼んでいた。
産後は青い魚を食べてはいけないとかズイキは良いと言われていた。
古江では
カッパに包んで主人が田んぼや村のお墓の裏に埋めにいった。
生まれる際まで仕事をしていた。仕事するとお産が軽いと言われていた。
産気づいてから産婆を呼びにいく。
最初のお産から嫁ぎ先で出産した。
大昔はたたみをあげてむしろを敷いた。
木部では
墓の真ん中の井戸に捨てにいった
お産は奥の部屋で行われ、仰向けに寝て油紙、ボロ布、新聞紙を敷いた
産の忌みにはヨモギを食べてはいけない
東畑では
墓地の横に深い穴を掘って埋め強く踏みしめてその上に石をのせた。
これには子供が親に逆らわないようにという思いが込められていた。
出産は家の北側のヘヤと呼ばれるところで行われた。
大昔は灰とムシロをひいてその上に布団を敷いて座って生んだ。
産婆は池田から来てもらったが間に合わないことが多かった。
上渋谷では主人が墓地に埋めにいった。
座り産で、産後七日目ぐらいに腰湯といって塩を入れた湯で下を清める
腰湯を使うまでは汚れるので台所に入ってはいけないとされていた。
産後に食べていけないのはスイカや梨、青い魚
乳がよく出るように鯉の味噌汁と餅を食べた。
下渋谷では墓場のヨナホリという穴に捨てた。
お産はトリアゲバアサン(産婆)に来てもらう。
明治の頃はたたみをあげて藁をしいて座り産をした。
神田では大正の終わり頃まで墓へ持っていった。
北轟木では村の墓地の一画にある捨て場に男が捨てに行くが、
そこは一人で行くのは怖いようなところでした。
名前は中山寺でつけてもらい、先祖の名前から一文字とることが多かった。
北今在家では行政が集めにきてきた。
村には産婆さんがいた。
産婦は75日間、神社へ参るのを遠慮しなくてはならなかった。
赤子の顔に男は「大」女は「小」を書く。
その他の出産の関すること
腹帯は戌の日に中山でいただきました。
第一子は実家で出産しましたが、
第二子からは婚家で出産するのが普通でした。
昔はだいたい座り産で産婆さんに頼ったようです。
昔は技術が未熟なためや妊娠中に厳しい労働をしてため
また、大正ごろからヨバイによる自由結婚よりも見合い結婚が多く
親戚の広がらない一族内での結婚が増えたために
死産や障害を持って生まれてくる例が少なくありませんでした。
中川原では夜泣きのおまじないに
「信太の森の白狐 昼は鳴くとも夜は鳴くな」と
書いた紙を天井に反対にして貼る。
伏尾では
「信太の森のヒルギツネ、昼は鳴いても夜は鳴くな」
室町は鶏の絵を逆さに吊しました。
大正から昭和初期にかけての池田の女性の出産と
胎盤について書いてみました。
図書館で借りた池田市史をパラパラと見ていて「ゆなおつい」という
言葉を見つけ、何だろう?と思ったのがきっかけとなりました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
参考文献 新修池田市史 第五巻民俗編