池田城物語③/池田城落城で池田貞正が家臣とともに大廣寺で切腹、血天井/大阪府池田市の歴史

1508年
細川家の家督争いに巻きこまれます。

細川家第12代当主の細川政元(1466-1507)
父は応仁の乱の時に東軍を率いた細川勝元で、母は正室。
しかし独身を貫いたため実子がおらず、
養子に澄之、澄元、高国がいました。

この時の池田城主は六代の池田貞正
高国と澄元の間に家督争いが起こります
摂津国のほとんどが高国側についたのに
池田氏は澄元側につきます

そして高国側の総攻撃を受けました。
一ヶ月にわたる激戦のあと、食料が尽き
一族の有力者池田正盛の寝返りにもあって降伏します。

貞正は城に火を放ち、
大廣寺にかけこみ、そこで貞正と20名が自ら命を絶ち(自刃)
足軽70人あまりも後を追いました。
大廣寺には貞正切腹の時の敷板と伝わる板が
玄関天井に使われており「血天井」と呼ばれています。

この時に総勢300名以上が討ち死にしたとされています。

貞正の子供の久宗はかろうじで懐妊中の母と弟を連れて
城を落ちることができました。
父の首を東山に埋葬し、しばらくの間は有馬谷で静かに暮らしました。

つづく・・・↓
池田城物語①池田氏のはじまり、藤原姓を名乗っていた
池田城物語②応仁の乱に参戦し落城から復活
池田城物語③/池田城落城で池田貞正が家臣とともに大廣寺で切腹、血天井
池田城物語④/久宗(池田信正)が池田城を奪い返す!
池田城物語⑤/久宗(池田信正)突然切腹を言い渡される!
池田城物語⑥/細川政権が終わる、池田長正の時代
池田城物語⑦/池田勝正は織田信長と勇敢に戦い池田城は落城
池田城物語⑧/荒木村重に池田城を奪われる!下克上/大阪府池田市の歴史

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池田氏についてさらに詳しく知りたい方はこちらをご覧ください(^_^)/

戦国大名池田勝正研究所 
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ♪

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