源立寺は稲丸塚がある!文化の香り高い俳句寺/池田市

恵日山 源立寺 日蓮正宗 をご紹介します(^^)/

所在地

池田市槻木1-10

阪急池田駅から徒歩5分ぐらいです。
新町、綾羽周辺はお寺や史跡が多く、
歩いてまわれるので、街歩きにおすすめの地域です 🙂 


こちらは昭和初期の地図です↓

由緒

1686年(生類憐れみの令が1687)
ここには大坂天王寺念仏寺末の兼学曹洞宗「宝相庵」がありました。

1800年ぐらい、寛政年間の頃
俳僧の稻丸が住んでいましたが、後に丹波に移り39歳で死去

1809年
池田の俳人たちがこれを惜しみ、この宝相庵に「稲丸塚」を建てました。

~しばらく無住の時代がありました~

1878年(明治10年)
大坂長柄にあった「源立寺」が買い取り移転。
今にいたります。


稲丸

青森出身で池田に往来した托鉢行脚の俳僧、風来坊の俳人
(坂上稲丸とは別人です)

俗名は井上義般 号は稲丸
青森県の医師、井上玄正の末子として生まれました。

早くに出家し、江戸や京都を経て1798年頃池田の石明禅寺の門下となる

しばらくして、宝相庵(源立寺)に移り、ここで十数年を過ごす。

1808年
病気療養のため、京丹波町の長楽寺に移り、その直後に亡くなる。
享年39歳

けふよりはあの道ゆくぞ曼珠沙華 


1809年
この死を悼んだ池田の俳人達が「稻丸塚」を建立し
翌年「遅春」が追善句集「石蒜露」セキサンロを編纂しました。
この書には、池田はもとより大坂や京都、
大津などの俳人が句を寄せています。

※遅春(ちしゅん)
池田を代表する俳人、井上遅春
新町で質屋を営んでいました。
1821年に41歳の若さで亡くなる


稲丸塚は不明になっていましたが
昭和3年5月7日
太陽日報社の我孫子政次が
源立寺の東南角に積み込まれた溝石の中から探しあて

石垣を崩して掘り起こしました。
これは当時の俳人達の間では驚くことでした。

稻束芝馬太郎氏・林田安平氏・原田長治氏らの発起で
再建記念追悼法要と俳句会、
魚治楼で書画展観が開催されました。
再び源立寺の墓地に建てられ現在に到っています。

気になること

ネットで調べていると、
いろいろと、、、事情が書かれています。
今回はこのことには触れておりません。


源立寺の前はよく通るので、いつか調べてみたいと思っていました。
稲丸の自筆の短冊や手紙、池田著名の俳人が残した資料、
短冊などが残っているそうです。

このお寺の近くに大阪では一番古いおうどん屋さんがあります。
うどんの吾妻でこぶうどんを食べてきた!/ささめうどん

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