行基(668-749)15歳で出家し享年81歳
奈良時代の日本の僧で奈良の大仏(東大寺)を造った方です。
40歳代から民間布教や社会事業をされるようになったそうです。
行基集団を形成して橋や池や寺院をたくさん造りました。
今でいうと「チーム行基」のようなグループがあったという感じです。
伊丹の開墾を進めて昆陽寺を設けたことが北摂地域に遺された
行基の大きな伝承になっています。
こちらは↓久安寺にある行基菩薩の像です。
すごい光が入って神秘的な写真になってますが、
これはフレアというカメラが反射して出る現象のようです(*_*)
池田市内のお寺を散策していると
「あら?ここも行基さん」と、行基さんに関わりのあるお寺が
たくさんあることに気づきます。その数なんと8寺
久安寺(伏尾)、東禅寺(東山)、高法寺(綾羽)、寿命寺(西本町)、
法園寺(建石町)、釈迦院(鉢塚)、一乗院(鉢塚)、常福寺(神田)
寿命寺では織姫伝説のアヤハトリとクレハトリが
船旅の安全のために持っていた薬師如来が
唐船が淵(猪名川)に沈んでいるというお告げを受けて
探し当てたものを本尊にしていると言われています。
釈迦院は応神天皇のお母さん(神功皇后)が
朝鮮の王様から「お釈迦様」が持っていた「鉄鉢」を
献上されて持ち帰りましたが当時はまだ日本に仏教が広まっておらず、
鉢塚古墳に埋められていました。
それから数百年後・・・
やがて行基菩薩が近畿行脚の際にこの地に訪れ1泊した時に
観音菩薩が夢に現れて、鉄鉢が埋蔵されているとお告げがあり
目がが覚めたあと、すぐにその地を発掘したところ鉄鉢を発見。
ことの重大さに、驚いて早速朝廷に報告したところ
天皇の勅願により若王寺(にゃくおうじ)の寺号を賜り
素晴らしいお寺が建てられたということです。
この石造りの鉄鉢は今でも釈迦院の宝物とされています。
常福寺では行基が自作の千手観音を安置したのが始まりとされています。
しかし、この池田の寺に行基が関わったという記録はありません。
寺の持つ史料も奈良時代、平安時代のものはないので
行基が開創したというのは証明不可能です。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
また何かわかりましたら追記していきます( ・◡・ )♫•*¨*•.¸¸♪
コメント
僧行基については、私もブログの中で取り上げています。
伊丹平野の開墾と、ため池の築造。
お寺の開基と伊丹・尼崎では行基ゆかりの寺がたくさんありますね。
伊丹廃寺も行基の開基だと言われています。
川を挟んだ池田市内にも行基の残した功績は数多いですね。
私も、僧行基と伊丹平野に関してはもう少し掘り下げて研究しようと思っています。
こんにちは。コメントありがとうございます。
久安寺にある行基さんの座像は本当にいいお顔で、実物もこんなにおだやかそうな方だったのかなぁと想像しています。あちこちに行基さんのかかわったお寺があって今で言えばスーパーゼネコンのようなお方ですね(^^)
池田の図書館が駅前になって通いやすくなったのでまたいろいろと調べてみたいと思っています。