西天神社は行基祈願の昆陽村のもうひとつの氏神/伊丹市

昆陽寺とその周辺を散策し、自転車で171を通って池田に向かっていたら
西天神社を発見しました(^^)

兵庫県伊丹市昆陽北一丁目5番21号
伊弉諾尊(イザナギノミコト) 伊弉冊尊(イザナミノミコト)
創立年不詳。
明治6年(1873)、村社に列せられる。

西天神社のご利益は延命長寿・縁結び・事業成功

天平年間(729~749)に行基法師が昆陽池を開拓せられた時、
その事業達成を祈願して創建されたと伝えられています。

「西天神社」は西の氏神で、東には「東天神社」があります。
実は東天神社の前も通ったのですが、疲れ果てていて
お立ち寄りできませんでした、、(~o~)
石造物とかもいろいろあるみたいなので、次回お参りしてみたいと思います。
東天神社にはお寺の方がいらして御朱印もいただけるようです。

写真に写っていませんが、大きな看板がかかってました。
神社はかならずこんもりした森がありますね

誰もいなくて、ソーシャルディスタンスはばっちり!

なんともいえない、綺麗な緑の屋根が印象的です。
2本建つ石の柱は注連柱(しめばしら)といいます。

注連柱は鳥居の原型とも言われており主に聖域を分け示す為のもの。
聖域を示す柱という事で標柱とも言われます。




とても綺麗に管理されていて、お掃除も行き届いています。

拝殿と本殿のまわりをぐるりと回れるようになっています。
たくさん木があって自然のにおいがして、鳥も虫もたくさんいました。
あちこちでガサガサ音がするので、何が出てくるかとドキドキしました。

境内社産霊神社・天満社・猿田彦神社

大江匡房の歌碑です。
「津の国の芦の葉凌ぎ 降る雪に 昆陽の篠屋も  埋もれにけり 大江匡房卿作」
大江匡房は平安時代後期の公卿、儒学者、歌人です。



猪名川、夕暮れ前は少し涼しくなってきました。
ここまで帰ってくるとなんだかホッとします(^^)

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