9日間
飲まず、食わず、眠らず、休まずで行う、
天台宗の命懸けの修行「堂入り」に挑んでいた僧侶が、
21日未明、無事に行を終えました。
どんな姿で信者さんの前に現れたのでしょうか?
その一部始終をミヤネ屋が報道しました。 由緒正しき比叡山・・・
木々も眠る秋の夜長 修行をされているお堂は
比叡山の中でも特に山深い谷にあるということです。
空気が冷え切って、荘厳な印象がある場所です。
その先にあるのは 「比叡山・延暦寺”明王堂”」
行われていた荒行は 千日回峰行
その荒行の厳しさ、全てが想像を超えている。
1000日間、比叡山山中を歩く
驚きの距離はおよそ4万キロ、実に地球1周分
白い死に装束に身を包み、入山、腰には縄
その名も「死出紐」 不吉な言葉が持つ意味、
それは業を半ばに挫折した場合、
自ら首を吊って命を絶つという覚悟の証。
千日回峰行成就のあかつきには、生きながらにして
「不動明王」の化身として信仰の対象となる。
しかし、戦後達成できたのは12人のみ
この壮絶な荒行に挑戦しているのが
善住院 住職の釜堀浩元師
前半700日の山歩きを終え臨むのが
最難関の「堂入り」
9日間、水を経ち、食を経ち、眠らず、休まず
ひたすら「不動信言」を10万遍となえ、
不動明王と一体になることを目指す。
●直前に最後の食事をとり、葬式を済ませて入堂
●毎日午前2時に本堂にお供えする水を
井戸に取水に行く以外は外に出ることができない。
●5日目の朝からうがいができ、肘掛の使用が許される。
(飲むことは許されず、吐き出した水の量も調べられる)
●お堂には時計がなく、小窓からの木漏れ日で昼夜を判断
8年ぶり、戦後13人目の挑戦
まさに、死と隣り合わせの荒行だ。
今日21日未明最終日
「明王堂」のまわりは
およそ500人の信者たちで埋め尽くされていた。
釜堀師は無事に「堂入り」を終えられるのか ?
全ての光を落した暗闇で信者たちは生還の瞬間を待っていました。
辺りを静寂がつつみ、
そして 入口を閉ざしていた閂があき、扉が開いた。
不動真言が響き渡る中、まず先導の僧侶が出てきました。
そして 白装束に身を包んだ釜堀師が現れた
右手には杖、一段一段、踏みしめるように階段を下りて行く
堂入り前に比べ、頬はこけ、目もうつろ しかし
介添えの僧侶に支えながらも自らの足で歩みを進めている
そして、信者の列の中へ
9日間、飲まず食わず、不眠不休で臨んだ荒行からの生還
その姿に感極まり、手を合わせる信者達。
扉が開け放たれたお堂の中、
この中で釜堀師はひたすら不動真言を唱え続けた。
戦後13人目、「生き仏」になり
當行満阿闍梨 (とうぎょうまんあじゃり)
と称される釜堀師
しかし命懸けの9日間を過ごした「行者」の体には大きな異変が・・・
「堂入り達成」後からはじまる試練とは?
「明王堂」から出て、
階段を降りたら300メートルぐらいのところに
普段ご自身が修行されているお寺があるということなんですが
そちらまでは時代劇の籠のようなものに乗って
移動されたということです。
そのあとは、病院などには行かず これは修行なので、
入院や検査などは一切なくお寺に戻られて 足がむくんでいたり、
暗い中にいたから瞳孔が開いてしまっているので まず、
普段の修行ができる体に戻すということをやる。
まだ修行の途中であるから、
体を戻すのも修行のひとつ
これからまだ修行は2年続き、さらに過酷となる
それに向けた準備がもう始まっているということ。
予定では3月から次の山を歩く修行が始まる。
そして、2年間かけてこれを達成される
1~3年目 1日30キロの行程を毎年100日間(計300日)
4~5年目 1日30キロをそれぞれ200日間(計400日)
700日を終えると「堂入り」へ
6年目 1日約60キロの行程を100日間
7年目 前半の100日間は84キロにも及ぶ「京都大廻り」
最後の100日間は比叡山 山中30キロをめぐり満行 それらの全てが終了し、
北嶺大行満大阿闍梨
(ほくれいだいぎょうまんだいあじゃり)となる
その距離は約4万キロメートル 地球1周分 ということで、
まだ堂入りは半ば、
これからさらに厳しい修行が待っているということです。 最後までお読みいただきましてありがとうございました。