呉春といえば、大阪池田市の銘酒「呉春」を
思い浮かべる方が多いと思いますが
実は江戸時代に生きた日本を代表する画家の一人なんです。
司馬遼太郎さんが書かれた
「天明の絵師」は「最後の伊賀者」の中にある短編小説で
与謝蕪村の娘「お絹」が呉春に恋心のようなものを持つ
というところから始まるストーリーです。
呉春(1752ー1811)は
顔はいかつい感じであったようですが
おそろしく器用な人だったそうです。
12歳から金貨鋳造局に奉公し、
神秘としか言えないような手さばきで金貨をよりわけた。
横笛を習った時もひと月ほどであらかた曲を覚えて名手と言われ、
これぐらいで名手と言われるほど奥の浅いものなのかと
あっさり笛をやめてしまった。
ある日、近所の人に頼まれて絵を描いたときに上手に書けたので、
絵でも習おうかと思ったのが始まりだそうです。
そして当時大貧乏だった与謝蕪村に弟子入りし、
すぐに蕪村そっくりの絵を書くようになったといいます。
そして蕪村にすすめられて旅に出ることになるのですが
池田市の川田田福という呉服屋を営んでいる人に
呉春の生活の一切を蕪村が頼んでくれました。
その時の紹介状が残っていて
「この児輩(呉春のこと)には、天授の才これあり
終には牛耳(画壇)をにぎるおのこなりと末たのもしく候」
呉春はこれを見て師匠の愛情の深さに感動しました。
池田で腰をおちつけた呉春はほうぼうで重宝がられました。
池田は裕福な醸造家が多く、家屋敷が大きいので
ふすまをかえる度に絵が必要になる
この地の旦那衆は「よい男が来た」と喜んで歓待しました。
川田田福も自分の家の2階に呉春を住まわせて器用な画家を
かわいがり、愛したそうです。
呉春は池田に来るまで月渓と名乗っていましたが
池田は古く「呉服の里」と呼ばれていて
その呉をとって呉春と改めたそうです。
池田市には当時の呉春を思わせるものがいろいろと残っています。
稲束家住宅
池田市綾羽にある300年を経る住宅で国の有形文化財となっています。
当時文化人の出入りが多く、呉春も通っていたそうです。
板垣退助が宿として使っていたそうです。
呉春に自宅の2階を与え
井筒屋という呉服屋を営んでいた川田田福の石碑
この石碑があるのが綾羽にある高法寺です。
池田は城下町で歴史ある、見所まんさいの街です。
美味しい和菓子屋さんで食べ歩きも楽しいですよ(^^)
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