池田市綾羽にある待兼山高法寺をご紹介(^^)/
■宗 派 真言宗
■ご本尊 十一面観音立像 脇侍/不動明王立像・弘法大師座像
■開 基 行基菩薩と考えられている
■住 所 池田市綾羽1-1-9
ご由緒
もとは豊中市の待兼山にあり、行基菩薩の開基と考えられています。
1579年の荒木村重の乱で兵火に遭い寺は全焼しました。
御本尊の十一面観音立像はその時に頭上仏の一部が失われましたが、
何とか運び出され今も御本尊とされています。
藤原時代の作で、池田市重要文化財に指定されています。
1598年、中興の祖(その後再び興した)として法印静辨(じょうべん)が現在の場所に再建しました。
その後、無住の時期もありましたが住職は30世を数えます。
現在のたてもの
江戸末期の建立で修復を重ね今に至っています。
↓こちらものすごく編集が下手です、、、最初の頃のですがこれでも必死でした(*_*)
池田城主の祈願所になっていて、出城の役割も兼ねていました。
建物の構造も庫裏と本堂が一体になっています。
がんがら火との関係
半鐘はがんがら火で叩かれていた鐘です。
昭和30年頃までは祭りの準備をこの寺で行っていました。
川田田福の石碑
こちらには江戸時代に活躍した川田田福さんの石碑があります。
川田田福さんはもともと京都の人で1721年誕生。
西本町に井筒屋という呉服屋の出店を営んでました。
早くから与謝野蕪村に師事していて、そのつながりで絵師の呉春が池田に滞在した時にお世話の一切を頼まれました。
田福はしばしばこの寺で俳句の会などを催しました。
俳句の他に謡曲にも偉才があったと言われています。
金比羅社
海上交通安全を祈願されていました。
池田はかつて、海が入りこんでいたそうです。
お稲荷さん
山門
道標
正面に【左京 みのを道 かち尾寺 道】
両側面に 【天保四巳三月】 【右中山】と刻まれています。
天保四年は西暦で1833年で
今から約200年も前に作られた道標になります。
この頃は伊勢おかげまいりが大流行し、池田でも大人気でした♪
篤姫が生まれた頃でもあります。
池田市は城下町なので、お寺も多く、
池田駅近辺は古いお家や町並みが残っています。
このあたりは見所満載!お散歩してみてね♬☻☻♫•*¨*•.¸
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
参考文献/池田市史