弘誓寺は鐘楼と山門が合体した珍しい建物/熊の墓がある/池田市

2023年7月16日更新
現在、「熊塚」は別の場所へ移動されているようです。
移動先はわかりましたらまたお知らせします。
境内にあった古いお墓のところを綺麗にされたようです。

池田市綾羽の弘誓寺(ぐぜいじ)をご紹介します(^^)/

■山 号 大西山
■宗 派 浄土真宗 本願寺派
■開 祖 僧の道空 1509年
■御本尊 阿弥陀如来立像 元和時代 脇に親鸞・蓮如の画
■住 所 池田市綾羽1-4-10
■最寄駅 阪急宝塚線池田駅

ご由緒

開祖は僧の道空
500年以上前の永正6年(1509)

この道空は第5代池田城主「池田充正」の一族で
家老の「大西与一右衞門」の家系の人。
本願寺9世「実如上人」の直弟になり弘誓寺を創立しました。

北側の出雲大社池田大教会のある場所に、
大西与一右衛門の屋敷があったそうです。

綾羽のあたりは旧大西垣内町でした。

弘誓は経典の中にある言葉で「仏・菩薩が弘く衆生を済度する」という
強い意志を表しています。

「巡回講」
200年以上続けられ、現在も続く「講」があります。
旧池田10ケ寺の住職が順に当番となって毎月1回宗派を超えて食事を共にして親睦・情報の交換を催しておられます。

池田市重要文化財

狩野派「勝部如春斉」の襖絵八面
松風に孔雀・松桜に孔雀
江戸時代1770年頃の作

内陣と外陣のさかい、左右四面づつの襖に書かれ
「台賜如春斎典寿」の署名があります。

文化の日に公開されます。

襖絵のほかには石山本願寺の合戦の時、弘誓寺が戦費を献じた顕如からの
礼状や元禄時代の版木などが残されています。

山門

山門と鐘楼が合体した二階建ての建物は珍しいものです。
元禄3年(1690)建立記録の木版が残されています。


本堂


本堂は延宝6年(1509)の建立
お参りしていたら優しそうな住職さんが声をかけてくれました。
「いらっしゃい、中も見る?」
なんか申し訳なくて、「大丈夫です」と言ってしまいましたが
見せてもらったらよかったなぁ、、とちょっと後悔・・・・


墓地に”熊の墓”がある🐻

墓地には酒造家「清水屋」の菩提寺として歴代の墓石があります。

そしてなんと!
「熊の墓」があって「身代わりの熊塚」と言い伝えらえています。

1853年の冬、いっぴきの小熊が
山から西本町に
迷い込んで大騒ぎになりました。
追い立てられた小熊は醤油を作る「雑喉屋太兵衛」の蔵に逃げ込み
あわや鉄砲で撃ち殺されるところでしたが
心の優しい太兵衛は檻に入れて7年程も飼いました。

ところが太兵衛は大病にかかり命も危うい時
熊も病んでまもなく死んでしまいました。

その後不思議なことに太兵衛の病状は日増しに良くなり
全快することができたそうです。
これは熊が恩返しのため身代わりに死んだと思い
境内墓地に熊の墓を立てました。


誓弘寺のすぐ近くには西国街道

周辺は見所満載です!是非お散歩してみてくださいね!
お薦めコースはこちら↓参考にしてみてください♬☻☻♫•*¨*•.¸
阪急池田駅前散策【城下町を町歩き】/古刹と近代建築/お寺巡り/池田市

最後までお読み頂きましてありがとうございました♬☻☻♫•*¨*•.¸

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