一乗院は石田三成の子供が軍旗に包まれ落ち延びた寺/真言宗/池田市鉢塚

尊鉢の厄神さんへ行こう♪とプラプラ歩いていて発見したお寺です。
国道沿いなのであることは知っていましたが今回初めてお参りしました。
このお寺は石田三成の子供が軍旗に巻かれて落ち延びてきたという
まさかの言い伝えがあるお寺です(^_^)/

尊鉢厄神(釈迦院)の記事も書いてます(^^)
池田市の釈迦院/尊鉢厄神大祭★尊鉢の厄神さん★行基菩薩の夢に現れた観音菩薩がお釈迦様の鉄鉢を教えた/真言宗

ご紹介するのは
多羅山 若王寺 「一乗院」 真言宗のお寺です。
池田市鉢塚2-7-26


いつも前を車で通っていて
なんとなく新しいお寺なのかなって思っていたんですが・・・
すぐ近くの釈迦院と共にあった若王寺(釈迦院のこと)の塔頭の一つです。


若王寺は、
応神天皇のお母さん(神功皇后)が
朝鮮の王様から「お釈迦様」が持っていた「鉄鉢」を
献上されて持ち帰りましたが
当時はまだ日本に仏教が広まっておらず、
鉢塚古墳に埋められていました。

それから数百年後・・・
やがて行基菩薩が近畿行脚の際にこの地に訪れ1泊した時に
観音菩薩が夢に現れて、鉄鉢が埋蔵されているとお告げがあり
目が覚めたあと、すぐにその地を発掘したところ鉄鉢を発見。
ことの重大さに、驚いて早速朝廷に報告したところ
天皇の勅願により若王寺(にゃくおうじ)の寺号を賜り
素晴らしいお寺が建てられたということです。
この石造りの鉄鉢は今でも釈迦院の宝物とされています。

一乗院はその塔頭として行基が開き
その後814年に弘法大師が留まり、
本尊 雨宝童子・春日竜神の像を彫られて祀られたと伝わっていますが
現在の研究ではどうも弘法大師の作ではないとされています。

一乗院にある仏像は全て池田市の文化財に指定されています。
仏像の拝観は一定の期間のみ公開となっております。

1573年に織田信長の兵火により焼失
1638年に秀英より再興され、
1834年には快竜により復興しています。


【本堂】
本尊 木造 聖観音立像(藤原時代)
脇待 木造 多聞天(毘沙門天)立像 (藤原時代)
脇待 木造 春日竜神立像 (室町時代)







↓こちらは「融通尊堂」です。
 どんなことでも融通してくださる仏様として多くの方がお参りに来られます。
 少し中が見えましたが、本当にある意味ちょっと不気味な雰囲気でした。

【融通尊堂】↑
本尊 木造 雨宝童子立像 (鎌倉時代)

そして境内には「石田三成軍旗塚」というのがあります。
関ヶ原の合戦で徳川家康に大敗して捕らえられ
1600年に京都で斬首されました。
その三成の側室が生んだ子供「千代丸」が乳母によって軍旗に包まれ
尊鉢村まで落ち延びて隠れ住んだそうです。
その後は石田四郎右衞門と名乗り1646年亡くなったようです。
軍旗は今も保存されています。

この辺りには石田姓が多いそうで
お寺の方のお話しでは近くに住む子孫と思われる方が建てたそうです。


梵鐘は1755年のもので
戦時中の供出されましたが戻ってきた運のいい鐘です。
鐘楼が白く塗られていてちょっとお寺の中では浮いて見える感じがします。


「融通尊堂」の横にも出入りできる門がありました。

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