旧呉服座は明治から昭和の大衆娯楽場/大阪府池田市

猪名川沿いを散歩してて見つけた「呉服座跡」についてご紹介します(^^)/

明治6年の池田村絵図にはこの北隣に「戎社跡」と書き込まれていて
当初は「戎座」と呼ばれており後に移転か建て替えをした時に「呉服座」となりました。【くれはざ】と読みますが【ごふくざ】とも呼ばれています。


今の感覚で言うと駅から少し離れているし、なんでここにあったんだろう?
と思いますが、この辺りは昔は西之口といって
池田の西の入り口だったのです。
河辺郡からは木炭や果実などが入り、その他日用品が販売され
大正時代には本町に次ぐ池田の繁華街になりました。

なんと!大正時代にはデパートもあったそうです。

↓こちら以前に書いた記事ですがよかったらお読みください
池田には大正時代にも百貨店があった!西之口町百貨店

こちらは昭和初期の池田の地図↓

池田と芝居小屋

池田では江戸時代から空き地や様々な場所で芝居がされていたようです。
明治時代に入り、西之口に「呉服座」大西町に「明治座」菅原町に短期間で焼失した「春日座」がありました。

この芝居小屋は芝居や映画の上映だけではなく、政治や経済、講演会なども行う多目的スペースでもあったようです。
今でいう商工会議所のような感じもあったのでしょうか。
歩いて能勢や三田から芝居見物に来る人も多かったようです。

呉服座はいつできたのか?

正確にはいつできたかわかっていませんが
いろいろな文献を見てみると明治2年とされているものや、
明治7年とされているものもあります。

池田学講座の参考資料には明治20年代にはあったとされています。
池田市史では7年か8年頃に前身の戎座が建てられて25年に移築か改築されて巡礼橋が呉服座と改称されたことで呉服座と呼ばれるようになったとされています。

どこにあったのか、構造は?

西之口の呉服橋(巡礼橋)の南に猪名川の堤防に沿って建てられました。
そこは巡礼道と能勢街道が交差する地点に近く、近隣の人が訪れるのに絶好の場所でした。

構造は木造二階建杉皮葺で、大きな切妻屋根を架け、その前に軒の高い下屋を降ろして、小屋の入口にしています
舞台は80平方メートルで左右は桟敷席、中央と二階は畳席
人力による廻り舞台、奈落もありました。

どんなことがされていたのか

時代の流れを反映し、それが演しものになった。
歌舞伎・壮士劇・新派・浪曲劇・漫才・映画・政治講演会も行われていた。

浪曲の広沢虎造、漫才のエンタツ・アチャコ、講談の神田白龍、渋谷天外や藤山寛美も出演していました。

年間200日から250日ほど舞台が使われ開演の頃には池田で一軒あったちんどん屋が口上を述べながら練り歩き、俳優が人力車に乗って通りをかけ巡った。

上演は夜で午後5時になると正面の太鼓櫓で太鼓が鳴り11時ごろに芝居が終わると打ち出し太鼓が終了を告げました。

豆芝居

昭和10年頃の5月に豆芝居と呼ばれる興行がありました。
この時期は空豆やえんどう豆の収穫期で田植えを前に農作業が一段落するので農家の人々は豆ごはんなどを重箱に詰めて、とっくり酒を持って呉服座へ芝居見物に行ったそうです。
家族ぐるみ、村ぐるみで訪れて定員350名のところに千人を超える盛況のこともありました。
入り口から猪名川の川原にかけてずらりとノボリが並び座主も力を入れて芝居をかけました。

お茶子さんと座席

入り口でお金を払い、木の札をもらって中に入り番台のようなところで札を渡すと「お一人さんご案内」のアナウンスがあって着物に前かけをかけたお茶子さんが案内してくれた。
50銭(心付け)を渡すと、フトンとお茶とお菓子が出た。

座席は平場、出席、下桟敷、上桟敷、向桟敷、大向桟敷があって後方が高くなるようにゆるやかな傾斜がありました。
下手に広い花道、上手にも幅が狭い仮花道がある。

呉服座の経営者は

大正期に黒谷から田舎じゆうの手に渡り、昭和5年に中田安馬・生魚商尼安・下駄商中西の3人が買い受けて中田安馬が座主となった。
中田安馬は呉服座が明治村に移築されるまで数えきれない苦難を乗り越え、守りぬいたといいます。
戦時中には運良く戦火を逃れそのままの姿をとどめました。

呉服が幕を降ろした理由はテレビの影響

廃館を決意したのは昭和43年の11月18日です。
翌日に朝日新聞に大きく、廃館に踏み切った理由が書かれていました。
理由はテレビの影響を受けてお客さんが入らなくなったことでした。
当時入場料は大人140円で1日最低50人が入らなければ採算が合わないのに廃業を決意した日のお客さんはわずか10人ほどでした。

最後の新春大興行

昭和44年1月に最後の新春大興行が行われた
この時は呉服座を惜しむ人で賑わい、新聞やテレビの取材も来て特集が組まれました。あるテレビでは桂米朝が司会をして45分の生中継を行った。

呉服座は当時のままで保存されている

愛知県犬山市の博物館明治村に移設され、
昭和59年に江戸時代の芝居小屋の様式を残す建造物として国の重要文化財に指定されました。

現存する劇場建築としては香川県琴平町の金丸座に次ぐ歴史的建造物です。

池田の郷土史研究家で私の師匠である中岡嘉弘さんも愛知県まで見に言ったそうで、池田歴史探訪ではこのように書かれています

その昔、国の重要文化財ともなった貴重な「呉服座」を取り壊して、危うく猪名川の河原で焼き捨てようとした危機を池田市とその住民は関心を示しませんでした。
市以外の有志、有職者がこの遺産を守るべく立ち上がり奔走されて明治村へ移転されることになったと聞きます。
当時の失政を嘆くと共に文化の原点となるべき有形無形の遺産はどうしても守り抜く意思の大切さを改めて考えさせられる。

重要文化財

昭和59年に文化財保護法によって重要文化財に指定されたのは
「旧呉服座は江戸時代に成立した劇場形式をよく伝え、規模も正面間口17、9メートル、奥行き25、7メートルと大きく地方都市に建てられた劇場としては優品でみるべきものがある」からである。

参考文献
池田市史第三巻、西国街道、池田学講座、がんがら新聞、池田歴史訪探

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