池田には大正時代にも百貨店があった!西之口町百貨店/誓文払い

先日、昭和初期に栄本町にあった「いとや百貨店」についてご紹介して
そんなに早くから池田に百貨店があったのか\(^_^)/
びっくりするやら感心するやらだったのですが・・・・
なんと大正時代にも百貨店があったということがわかりました!

阪急池田駅近くの、今でいう西本町のあたりは、

箕面の勝尾寺と宝塚の中山寺を結ぶ「巡礼道」と
大阪と能勢を結ぶ「能勢街道」が交差する場所で、
西側の河辺郡の村々とつながる池田の西の入り口ということで
「西之口」と呼ばれる地域でした。

河辺郡からは木炭や果実などが入り、その他日用品が販売され
大正時代には本町に次ぐ池田の繁華街になりました。

こちら昭和初期の池田市の地図です↓


西之口を中心にして本町から西本町にかけて呉服店、小間物屋が並び
お正月用の衣類、雑貨などを安売りし、
子供達には能勢の焼き栗や揚げまんじゅう、焼き餅が人気でした

大正10年には西の口の永田呉服店などの呉服店主が集まって「誓文払い」を行い、他の小売店も参加して12月1日から5日間毎年開催され、
池田名物となりました。

この誓文払いとは今で言うバーゲンセールでブリタニカ百科事典によると
陰暦 10月 20日の戎講 の日に,京都の商人や遊女が四条京極の官 (冠) 者殿に参詣し,商売上の駆引きで客を欺いた罪を払い神罰を免れるように祈った行事。江戸時代以来の風習で,この日,京都,大坂の商店が安売りを行なったところから,のちには商店の売出し行事となり,京坂だけでなく全国に広がった。現在では日数も1週間程度に延長されており,時期も地方によりまちまちである。


大正時代には日本の大都市で新しい小売形態である百貨店が出来はじめるが

池田でもこの西之口で百貨店が登場しました。

大正10年に北摂信託が開業した西之口町百貨店で、
敷地は80坪を13に間仕切りして
文具・玩具・金物の直営店、
高橋久太郎商店硝子店出張所、ヘンコツ屋商店、藤為骨董店、
他には履物店、袋物店など様々な店が入りました。
この百貨店を当時の地域の人々は「西之口の勧商場」と呼びました。
西之口には呉服座や松平写真館があり大変な賑わいをみせました。

↓こちら猪名川にある明治7年に建築された「呉服座跡」です(^^)/

↑この後ろに見えている高速道路の暴風壁にウロコのような模様がされていますが、
これは龍のウロコをモチーフにしたものです。

川西市と池田市には龍の伝説がたくさん残っています。
↓こちらにまとめましたのでご覧ください!
池田の龍のおはなし

↓旧いとや百貨店についてはこちらをどうぞ(^^)/
旧いとや百貨店/糸屋(近代建築)

最後までお読みいただきましてありがとうございました( ・◡・ )♫•*

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