去年、車検で枚方の車屋さんに行った時、
時間つぶしに枚方駅周辺を散策したのですが
いつものようにお寺に導かれ、お参りをして写真を撮りました(^-^)
そのことをすっかり忘れておりましたが、思い出したので
枚方の万年寺山周道にある一乗院をご紹介します!!
ぶらぶらしてると、、、♪
枚方駅からほんの少し歩いたとこに公園らしきものを発見!
古墳ぽいわねぇ、、、、雰囲気のある道です(^-^)
万年寺山周道(まんねんじやましゅうどう)
枚方市では「道」に親しみと愛着を持ってもらうために
「愛称道路」というのがいくつかあって、
その一つがこの万年寺山周道で、
意賀美神社と枚方小学校をとりまく道路です。スゴイネ!枚方♪
ここは昔々、この辺りを治めた偉い人の古墳だったそうです。
その後、万年寺が建てられましたが、
明治時代に取り壊され、地域の氏神を集めた「意賀美神社」となりました。
※廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と言って、寺院の廃止や仏像の破壊、仏事の禁止などが行われたそうです。
ふるさと枚方発見様よりお借りしました<(_ _)>
一乗寺
この日はこんなに壮大な歴史の宝庫が広がってるとは知らず
枚方城主、本多氏の菩提寺である一乗寺のみ参拝をしました。
こじんまりした感じのお寺です。
■本 尊 阿弥陀如来
■山 号 究竟山
■開 創 平安時代初期
■住 所 枚方市岡南町3-16(元は山城の洛北一乗寺村)
河内三十三所観音霊場 第2番
枚方城主 本多氏の菩提寺
最澄や弘法大師が像を安置したと言われている由緒あるお寺ですが、
応仁の乱の戦火で焼失し、
枚方城主の本多政康が1600年に本堂及び、日吉神社を再建しました。
一乗寺の大檀那(だいだんな)であった本多氏は
奈良時代に渡来した百済王の末裔を称し、
豊臣秀吉に仕えましたが、大坂夏の陣で徳川方に攻められ、
枚方城は大阪城と運命を共にして落城、政康は戦死し本多氏は没落。
寺社は徳川氏に没収されますが、本多氏遺臣の尽力で復興します。
しかし当時の勢いは失われました。
政康の娘(乙御前)が秀吉の愛妾であった関係で、寺には豊臣家ゆかりの品が伝わっているそうですが、本多家没落後の乙御前については、記録が見当たりません、、、
本堂
右側が観音堂
梵鐘
横の坂道を上がって公園へ!
日吉神社跡
一乗寺の横に公園があって、そこに石碑が建っていました。
明治42年に延喜式の意賀美神社(おかみじんじゃ)に合祀される前は、
この場所に日吉神社がありました。
岡東公園
乙御前がその後どうなったのか気になって仕方ないのですが
今のところ、わかりませんので何かわかりましたら更新します(^-^)
乙御前が秀吉の側室になったことで、本多氏は大変栄えたそうです。
枚方すごくいい街ですね!お店もあちこち行ってみたいです♪
最後までお読みただきありがとうございました!!