むかしむかし、
あるところに、ふたつの山がならんでいました。
ひとつは――
霊験あらたかなおいのり山。
英知をこえた、ふしぎなちからをもち、
てっぺんには大きくて立派なお寺がありました。
人びとは毎日のように山へやってきて、
かみさまにむかって手をあわせます。
「どうか、あめがふりますように」
「びょうきがなおりますように」
「にこにこ笑ってすごせますように」
そしてみんな、ありがたそうにおふだをもらって帰りました。
おしょうさんになりたい人たちも、この山で修行をします。
「おいのり山で修行した」といえば、それだけで名がとおるほど。
人びとは、この山を――とても高貴な山とたたえました。
そんな「おいのり山」のおとなりにあるのが――
ふつう山。
ふつう山には、お寺も、祈りの声もありません。
だけど、村の人たちは、草をかりにきたり、
きのこや木の実をとりにやってきます。
そして、それ以外は――
とても、しずかな山です。
でも、その山には、いのちがいっぱいありました。
ししがしかをおいかけ、
ことりがたまごをあたため、
虫たちがうまれては、ひっそりときえていく――
ある年、戦がおこって、
人びとはこのふつう山でたたかいました。
血が流れ、木が倒れ、
ふつう山は、たくさんの悲しみをのみこみました。
それでも山は、何も言わず、
つちのなかにすべてをしずかにしみこませていきました。
ある日のこと。
おいのり山が自慢そうに言いました。
「わたしは、たくさんの人に大切にされている高貴な山だ。
毎日、お供えの金品、酒、食べ物をたんまりといただく。
おまえのところはどうだ?ふつう山には誰も来んだろうな」
ふつう山は、しばらく考えてから、
ゆっくり、こたえました。
「だれかに大切にされるとか、
かみさまのようにあがめられるとか――
そんなことは、どうでもいいんだよ。
わたしは、ただ、山として、
動物たちを育み、木々や草花といっしょに、
にこにこ生きられたら、それでしあわせなんだ」
そのよる――
ふたつの山に、そっと雪がふりました。
白くてやさしい、その雪は、
どちらの山にも、おなじようにおりてきました。
山は山。
祈られていても、そうでなくても。
ただ、朝になってびっくり。
ふつう山にはうさぎやしかたちがすべって遊んでるのに、
おいのり山のお寺では、おしょうさんが雪かきでぎっくり腰になっておりました。
「ありがたやありがたや……って、腰が!腰がーっ!」
おいのり山は、その日から「ぎっくり山」ともよばれるようになったとか―
その年の春には
村でひどい病がはやりました。
人びとは、おいのり山へ通って、なみだを流しながら祈りました。
けれど、病がおさまったのは、おいのり山ではなく――
いきものたちが薬草を育み、人びとが助け合った、ふつう山のふもとの村からでした。
祈ることは大切。でも、
育てること、生きること、そっと寄りそうこと――
それは、もっと深い“祈り”なのかもしれません。