大廣寺(大広寺)★池田城主池田氏の菩提寺★牡丹花肖柏の夢庵/山門の白龍/池田市

塩増山 大廣寺 曹洞宗 総持寺直松
池田市綾羽2-5-16

阪急池田駅から徒歩圏内(少し歩きます)
五月山体育館の向かいあたりの五月山中腹にあります。
大きな市営の駐車場があります。(有料)


「陽春寺こちら」の看板を上がっていくと

何百年かタイムスリップしたような石段があります。
500年を超える古木の根っこが力強く石段のところまで
ウネウネと生えており長い歴史を感じます。
うっそうと木々が生い茂り、しばらく時の流れを忘れます(^^)
1人でゆっくりお参りしたいお寺です。

大きな木にソッと手の平をあてて目をとじると
少し暖かく。何か伝わってくる感じがしました。

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しばらく行くと陽春寺の山門が見えてきます。
大広寺7世によって創建されました。

ここは太平洋戦争の末期、大阪大空襲の時に
焼夷弾が投下され全焼し、屋根を突き抜けて

お寺はもちろん、たくさんの重要な書類(大阪検察局)
などが焼けてしまったという

悲しく残念な過去があります。

とても見晴らしがいいので、お参りさせていただいて
素晴らしい景色を楽しんでください。
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この陽春寺の前をさらに上がっていくと大廣寺の門が見えてきます。
池田城主池田氏の菩提寺として素晴らしい威厳を感じるお寺で
お城の門のようにも見えます。

このあたり、五月山には竜や白蛇の伝説がたくさん残っていますが
この大廣寺にも竜のお話が残っています。
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門をくぐって振り向くと、そこには白い竜がいます。

昔々、山門に住んでいた竜が毎晩弁天池に水を飲みに行き
バシャバシャと音をたてるので、

住職は眠れずこれをなんとか辞めさせようと考え
「眼を塗りつぶして見えなくしてしまえば降りて来られないだろう」
とひらめいた!!
そこで住職は昼間に竜の眼と全身を白く塗りつぶしたところ
竜は降りてこれなくなり、
ずっと山門に留まり守り続けているということです。


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大廣寺の開山は応永2年の1395年「天厳宗越禅師」と言われています。
しかし文明年間1469-87池田城主5代「池田充正」は当時の住職
「祥山禅師」に厚く帰依し諸堂宇を再建して池田氏菩提寺として尽くし、
その遺徳を称えて「開基」とされています。


山号「塩増山」の由来は
昔この山中に池があって海のように満ち引きがありました。
その水は塩川と名付けられ「からき水」で塩泉がわき出ていたそうです。
創建されるときにこの池を埋めましたがその旧跡を遺して山号としました。

ご本尊は「釈迦牟尼物座像」で鎌倉時代の「運慶」の作とされていまが
定かではありません。
両脇に文殊菩薩、普賢菩薩が安置されています。

本堂は創建以来何度も消失していますが
現在の本堂は1716-36の建立です。

鐘楼は池田市に残る最も古いもので

慶長14年2月(1609)の制作年が刻まれています。
池田城主であったとされる池田知正の法名である
「前備州一相乗実禅定門」とその養子の池田三九郎の法名である
「俊獄常賢大禅定門」が銘文に刻まれていて

知正の弟、池田光重が両人の菩提を弔うために奉納したとされています。

池田充正の代が最も安定し、財力にも恵まれた状況にありました。
大廣寺も塔頭が36院あったといわれ、
主に「泉福院」「明悟院」「陽春庵」がありました。

この「泉福庵」に1507年、高名な連歌師の牡丹花肖柏が
京都から移り住みました。
「夢庵」と名付けた庵を結び、香・花・酒を愛し
風雅三昧の日々を過ごした言われています。
本堂前には「牡丹花肖柏遺愛碑」があります。
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大廣寺の墓地にはたくさんの著名人のお墓があります。

池田城主 池田知正と池田三九郎の墓
田中桐江の墓
小林一三の墓
風人の碑
初代山中新右衛門幸元の墓
など

池田の郷土史研究家 中岡嘉弘さんの講演です。


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