南新町に「みこの小路」と呼ばれる路地があった/池田市

”池田の町並み復元グループ”様が作った
「昭和初期の池田」という本がお気に入りでよく読んでいるのですが、
なんだかめっちゃそそられる気になる文章が目に入った!!

そこには「みこの小路」のことが書かれていたのです!

みこの小路(神子・巫女)とは(^^)/
南新町神戸銀行前の道路を東西に細い路地がある所
江戸・明治時代に、伊居太神社や呉服神社など、
この周辺に数多くある神社に仕える神子・巫女さんが
この路地に集団で住んでいたと伝えられる。
大正初期にはその姿を見かけたことはないという古老の話。
                昭和初期の池田より引用

これだけの文章しかなくて、、、
池田市史や、いろいろ調べてみたけど他にはどこにも記述がない。

もしやと思い、昭和初期の地図を広げてみたら、、、
そこには確かに「みこの小路」と書かれていました!

茶色で囲んでいるのが、うどんの吾妻さん

早速、駅前に買い物に行った時に「みこの小路」を歩いてみました。

おそらくこの道↓だと思うのですが
お地蔵さんの祠がなんだか意味深、、、

なんと!かなり古い家がありました。
三つ巴の丸瓦はよく神社などで見かけますが
この巴紋は水が渦を巻いているように見えることから

「防火」や「火の用心」を意味するようになったそうです。

まっすぐ進んでふり返るとこんな感じ↓

突き当たりの猪名川沿いに、雰囲気のある大きなお稲荷さんがありました。
昭和初期の地図にものってるので、古そうですね
地図にオレンジのしるしつけてます(^^)/

結局、みこの小路については何もわかりませんが
全く何も知らず、消え去るよりは、少しでもこうゆう小路があったと
皆様に知っていただき、記しておくことは大事だなと思いましたのです。
何かご存じの方おられたら教えてくださいね!

電信柱には「西本町5」と書かれています。

ここは昔は西之口町で、呉服座や料亭が建ち並び、百貨店もあり、
賑やかな池田の玄関口でした。
西之口町と、南新町について他にもいろいろ書いています(^-^)

池田には大正時代にも百貨店があった!

都楼(みやこ楼)都商店は明治時代池田にあった料理旅館

ヘンコツヤの新銀巳之助氏は大正時代の池田で繁昌した足袋屋の主

旧呉服座は明治から昭和の大衆娯楽場


スポンサーリンク
Sponsored Link
Sponsored Link

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする