寿命寺は雨乞い竜や楠木正成の兜など宝物がいっぱい/池田市西本町

宝物がいっぱいある西本町の
医王山(いおうざん)寿命寺のご紹介です 🙂 

~聖武天皇勅願寺~

1333年に楠木正成公が「瀬川の合戦」を終えて
湊川に行くときに寿命寺を訪れ、湊川での戦勝を祈願し
軍旗や兜を奉納し、それが今も保管されている宝物庫のあるお寺です。

この辺りは昔々は西の口と呼ばれ、
池田の玄関口のような開かれた場所だったようです。

明治時代には呉服座があり、たくさんのお店がありました。

どんな歴史のお寺なのでしょう(^_^)

720年代に、あの奈良の大仏にも関わった『行基菩薩』によって開山される。
呉織・穴織(織姫)が呉から来た時に持っていた海上護身仏の薬師如来が
しばらく淵に沈んでいたのを行基菩薩が探し当て本尊として開創したという。
疫病が流行った時にこの薬師如来に祈ったところ、効果があったので医王山という号がつきました。


1400年代に『室町幕府8代将軍足利義政』が再建。
再建当初は、猪名川から東へ約220m、南北330mの広さに
七堂伽藍(七つのお堂と七重の塔)があったと記録があります。

1559年には僧『円誉運策』が再建し、宗旨を真言宗から浄土宗に改宗して、
本尊を『阿弥陀仏』としました。  

1697年に再建され、平成7年の阪神大震災で本堂が全壊する
現在の堂宇は平成10年に落慶されたものです。(寿命寺のHPを参照)

鎌倉時代から室町時代にかけて武家の信仰を集めたようで
この寿命寺には宝物庫に保管された、たくさんの宝物があります。

★楠木正成公が戦勝を祈願して奉納した『軍旗』と『兜(かぶと)』

★武田信玄公が奉納した『八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)』の像

★木造の雨乞いの龍は室町時代の彫刻で長さ4メートル

★呉服姫木造は江戸時代初期の作とされる

★文化財指定の絵画「紙本著色 池田名所古跡図」等

★古文書等
※この宝物は特別な日に拝観できるそうです。

↓こちら寿命寺のご案内動画です。私が撮った写真をつなげました(^^)/
 ご覧下さいませ~!1







猪名川に近いので増水の時には早鐘を打って危険を知らせたこともあるそうです。
阪神大震災で本堂が全壊した時にも、宝物庫は奇跡的に無事でした。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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