大正時代から昭和にかけて営業していた
本町公設市場(池田町公設市場)をご紹介します(^^)/
市場の歴史
大阪府池田市栄町11の付近にありました。
大正13年頃に作られましたが、
昭和2年の火災で焼失して、その後再建される。
店舗数は23店舗。
組合長は山本氏(萬庄八百屋)
昭和7年11月に池田の公設市場に指定されましたが、
昭和19年太平洋戦争末期、疎開道路建設のために取り壊され、
営業活動は一旦終わりました。
昭和22年に「北村吉右衞門酒造あと」に建設して営業を再開したが、
業績が振るわず店舗も虫食い状態になったので、昭和26年頃に消滅。
昭和10年頃の最盛期には川西や石橋の住民も多数来店していました。
10日、20日、30日には定期的に賞金、景品付きの売り出しを行い
大変賑わったと言われています。
昭和初期の地図にものってました(*^-^*)
ちょうど「めんも坂」のところです。
先日ご紹介した五月通り商店街が近くにあります(^^)/
貴重な昔の写真です↓
「昭和初期の池田」にあった店舗見取り図
令和3年1月、見に行ってきました!
左の建物がハローワーク、ゆるい坂を上がってすぐ右側です。
↑この坂を真っ直ぐ行くと、「星の宮」や「あわん堂」があります。
↓お茶屋さんと飲食店の間が市場だったのではないかと思います。
反対側から
集合店舗ができはじめたのは、明治の米騒動の時からです。
大阪市内で飢饉に備えて食料品を売る市場形式の集合店舗ができて
大正12年に公設市場条例ができ、本格的な市場が始まったそうです。
最後までお読みいただきましてありがとうございました(^^)/
参考文献/昭和初期の池田