すっかり秋の気配になりました(*^-^*)
私は能勢をブラブラと自転車で走り回ったり
相変わらず自由奔放な日々でございます。
この間の能勢を自転車で走り回ったというやつですが
坂道がえらいキツかったわぁ~と友人に話したところ
まさかの電チャリの電源入れ忘れが発覚いたしましてびっくり仰天です。
“_| ̄|○”ハァハァハァ
まぁ、気を取り直して思うのが・・・
最近またやっぱり、めん茂楼のはなさんのことが気になって
池田市史のどこかに載ってないかなと思ってページをめくっていたら
えっ!! 😯 😯 😯
はなさんのことじゃないけど
ちょっとびっくりな記述を発見しました(^^)/
なんと!あの水木しげる大先生が
池田にある園芸高校をお受験されていたというのです。
そして、なんと!水木先生一人だけが不合格だったとのこと。
以下は池田市史からの引用です。
漫画家の水木しげるは大正11年に鳥取県境港で生まれた。
自著「ほんまにオレはアホやろか」に園芸高校を受験した当時のことを書いている。
17歳(昭和14年)の時、東京の美術学校に行く受験資格を得るために、園芸高校を受験することにした。
試験は歴史と面接のみで、銃後の食料増産に備えだれでも入学しやすくしてあった。
この年募集は50人、志願者は水木しげるを入れて51人で、ほぼ全員合格という状況であった。試験当日の面接で先生の一人で
「君はこの学校に入って農業を志すのか」と問うた。
水木は胸を張って「いえ、将来画家になろうと思っています」と答えた。
ほかの受験生は「満豪開拓義勇団に行きます」などと答えていた。
このため、水木一人だけ不合格となった。
この1939年(昭和14年)は、伊丹飛行場の開場式があったり
池田町を廃し、池田市として大阪府内で6番目の市制施行をしましたので
今からちょうど80年前のことなのでございます!
小林一三さんが大活躍していた頃のことです。
そしてまさに今年が市制80周年( ・◡・ )
(*^^)/。・:*:・゚’★,。・:*:・゚’☆ Congratulations!!
池田市史を読んでいると、おもいがけず驚くようなことが書いてあります。
ぶ厚い本だけど、字はおおきめで読みやすいのです(^^)/
市役所で一巻1000円でお買い求めいただけます♪
ということで、今日はこれにてばいばいきん♪
やなせたかしさんも好きだなぁ~