池田市神田(こうだ)のおはなしや歴史をあれこれ

私がパートしてる介護施設が池田市神田(こうだ)にあるので
利用者さんにも神田についてお話しできるように
いろいろ調べてみました♬☻☻♫•*¨*•.¸
簡単にわかりやすくまとめています。

途中で童謡の歌詞が入ってますが
ずっとお話しだと飽きるので、歌いながら説明しようと思ってます♪
コロナ感染が心配なので歌い手は一人ですね(@_@)
さぁはじまりまーす!!

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池田市神田の歴史についてご紹介します!
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神田と書く地名は、全国的にもたくさんあって、
東京では「かんだ」と読むのですが
それが一般的に知られていますね。


かぐや姫のヒット曲に「神田川」というのがあります♪
あなたは、もう忘れたかしら、赤い手拭いマフラーにして
2人で行った横丁の風呂屋、一緒に出ようねって言ったのに


池田ではなんと!「こうだ」と読みます♪


池田市民なら、慣れ親しんだ神田(こうだ)という地名は
他の地域の方々からすると、珍しいのだそうです。

さてさて、池田市神田とはどんな町なのでしょう?

町を知るにはまず「嫁入り」からです!!

「嫁入り」と言えば、こんな歌がありますね♪

きんらんどんすの帯締めながら
花嫁ごりょうはなぜ泣くのだろう♪

神田の嫁入りは自宅で夜通し行われましたそうです。
次の日に親戚がお祝いに来ました。
家に入る儀式としては仏壇にお参りすることぐらい。

明治時代に川西から神田にお嫁に行った人は
「あそこはうるさい所やから、道で出会った人には皆頭さげや!」
と母親に言われたとか。

お産

こんにちは赤ちゃん 私がママよ♪

お産は家でされましたが、一番奥の部屋で座り産でしました。
初めの子だけ、実家で生み、
2回目からは嫁いだ家でのお産となりました。
後産は大正の終わりまで墓場へ持っていくこととなっていた。

腹帯はお決まりの中山さんへもらいにいく。

戦前までは家で生んでいて、
トラネ婆さんという産婆さんがいました。

↓中山寺 宝塚市中山寺2丁目11-1

生まれた子の名前は先祖や家系の1字を使いました。
厄年の子は「捨て三郎」と名付け
これ以上生まれないように願う時は「とめの」「とめきち」と名付けられました。
夜泣きのおまじないは木の中のかんむしを食べさせた。

不思議な話を少々、、、

タガメ、狐火、五八寸蛇が出没???

「タガメ」はガタロのこと?で、
河童じゃないけど河童みたいなものらしい。
人間のお尻から血を吸って死なせるとか、、、

「狐火」は山際や川沿いの所などに現れる怪光の一種。
現在なお正体不明の部分が多い。

「五八寸蛇」はツチノコみたいとも言われ、ボールみたいな形をした蛇がいて、人に飛びつく。

キツネに化かされて夜中に墓地をぐるぐると歩かされたという話も残っています。

神田には、尼崎・伊丹道という街道がありました。

池田から伊丹を通過し、さらに南下して尼崎へ至る道です。

歴史を簡単に!

原始時代に集落がありましたが、すぐになくなります。

聖徳太子の頃(600)集落が作られる

奈良時代、ちょうど奈良の大仏が作られた頃、常福寺が創建

平安時代、紫式部の頃、八坂神社が創建

昔は6つの村があった!

●宮之原
八阪神社のすぐそば

●上畠(うえばたけ)
猪名川から少し離れた東のやや高いところにある

●脇塚
古墳の名前

●中之島
猪名川の氾濫の被害が大きかった

●河原島
猪名川の氾濫の被害が大きかった

●北神田
中之島、河原島の北にある

この6つの村が合わさって神田となりました。

神社の維持に充てられた田で「神田」と言われています。

他の説では
猪名川は昔から氾濫が多くて一帯が荒れ地、荒田となり
そこから神田となったとも言われています。

猪名川と神田

猪名川は昔々は「西の川」と呼ばれていて
何度も洪水が起きた暴れ川だったようです。

川が溢れそうになると、カンカンカン!と
お寺で早鐘を叩いて知らせました。

猪名川では漁が行われました。
カニ、ドジョウ、ナマズ、鮎などがとれました。
これを食べて肺に寄生虫がわいた人もいたそうですが、
大正時代まではよく食べられていました。
田んぼに薬を入れるようになって、魚がずいぶん減りました。

外来の魚や動物もいるそうで
最近ではアライグマが猪名川に住み着いて畑を荒らすことがあると聞いています。
私も神田で狸かアライグマか、わからない動物に会いました!

狸と言えば♪♪♪
証誠寺の狸囃子が童謡でよく歌われますね!

しょ、しょ、しょじょうじ、しょうじょうじの庭は
つ、つ、月夜だみんな出てこいこいこい!
おいらは浮かれてポンポコポンのすっぽんぽん♪


今も田んぼや畑がたくさん残ってますね!

昔は、桃、いちじく、柿や苺などが栽培されていて
牛やにわとりもたくさん飼われていて、
洗濯を猪名川でする姿もありました。のどかな風景でした。


夏も近づく八十八夜の前に苗代を育て、
梅雨期に田植えをしました。

田植えは4軒ほどのグループで家族総出で行われました。

夏も近づく八十八夜野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘みぢやないか
あかねだすきに菅(すげ)の笠♪

稲刈りは区長(町内会会長みたいな人)が日を決めて
村中いっせいに行いました。
これに合せて小学校も休校となって、
子ども達も進んでお手伝いしました。


そして刈り取りの前には八阪神社で秋祭りがありました。

村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
朝から聞こえる笛太鼓

神田といえば八阪神社

■御祭神 素戔嗚尊(牛頭天皇)
■御神徳 治水・農耕・林業の守護神、厄除けの神、神田村の産士神
■創 建 978年と伝えられている
■宮 司 江戸時代に庄屋であった津田さん
     十二神社の宮司も兼ねている

1000年以上前に創建されています!!

京都の八坂神社が全国にある八坂神社(約2,300社)の総本社であると主張しているので、神田の八坂神社もそうなのかもしれません。





前身の社殿は1579年に
織田信長の有岡城主の荒木村重攻略の兵火にかかり
社殿、記録等すべて焼失しました。
織田信長との戦いで焼けたお寺が池田にはたくさんあります。

貴重な文献や建物が焼けたのはとても惜しく残念です。

織田信長に攻められた時に、たくさん人が亡くなったので
池田にはお地蔵様が多くあると言われています。



1610年に池田光重の子、他紋丸によって再建された本殿が

桃山時代の様式を残しており国の重要文化財に指定。

透塀欄間二十四孝が市指定重要文化財、
元禄~宝暦年間の宮大工「匠」が掘った貴重な欄間です。


本殿右奥に末社8社が祀られています。
両皇太神宮 春日大神 天満宮 蛭子尊(恵比寿)
日野大明神 金比羅大権現 熊野三所権現 八幡宮

隕石なのだそうです↑
隕石に素戔嗚尊がご降臨されて、この地に降り、

神が田に降りたので神田とも言われています。



写真の説明はありません。

200年以上の歴史を持つ神田のお祭りは
池田市の秋の風物詩となっています(^^)/
なんでも祇園祭の原型とも言われているそうです。

常福寺

■宗 派 高野山 真言宗別格本山
■山 号 清光山
■開 基 731年 行基とされている 
■ご本尊 十一面千手観音菩薩
■住 所 神田3-11-2


真言宗別格本山というのは、
本山に準ぜられる由緒あるお寺という意味です。

731年に行基が建立したとされています。
この行基さんはスーパー僧侶で、
創建されたといわれるお寺が池田にもたくさんあります。

二世の「海然」が真言密教を究めて「牛頭天皇」が降臨し、
八阪神社に祀って常福寺はその神宮寺として発展しました。

神田には法伝寺という浄土宗のお寺もあります。

道標(みちしるべ)



今も神田を歩くと道標を見ることができます。
別の場所から移設の可能性もあるそうです(^^)/

私達のふるさと神田をご紹介しました♪

兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

さぁ!体を動かしてリフレッシュしよう!!

池田市のふくまるくん体操


参考にさせて頂いた文献
池田市史 池田歴史散歩 ふるさと神田

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