荒木村重(1535-1586)は
伊丹の戦国武将として知られていますが
生まれたのは池田市で、池田氏の家臣でした。
9代池田城主、池田勝正の家臣として仕え、
8代池田城主長正の娘を妻にしています。
しかし、村重は城主勝正の弟の知正らとグルになって勝正を追放してしまいます。
ここで書くと非常に長くなるので、詳しいことはまた別の機会に、、、
村重は池田城をのっとり、けっきょく、池田知正は村重の家臣へと脱落。
かつての上司が部下となるという下克上となります。
1574年に伊丹氏がいた伊丹城ものっとり、有岡城と改名して居城します。
そして、、、
織田信長により摂津一国を与えられて戦国大名となりますが
しかしその後、織田信長に謀反して有岡城に籠城し
大軍に攻められて、1579年に落城、その後廃城となりました。
昭和54年に国の史跡に指定され、史跡公園として整備されました。
この有岡城は、黒田官兵衛が土牢に閉じ込められたという話でも有名です。
その土牢の場所の特定はされていないようですが
1年間も劣悪な環境でよく耐えたと感心します。
さて、暑さが続く8月31日☀
自転車で猪名川を超えて、目指すは有岡城!
呉服橋を渡ります、高速道路の暴風壁は龍のうろこモチーフになっております。
尼崎池田線をひたすら南へ走りますと、ニトリが見えてきますので
ニトリの東側がJR伊丹駅で、有岡城跡は駅のすぐそばにあります。
お城の石垣が見えてきました!
そして、堀のあとでしょうか
公園になってて、けっこう広々としています。
駅前にこんな城跡公園があるなんて、「歴史の街伊丹」という感じです♪
鎌倉末期から伊丹氏が居城していた伊丹城を
荒木村重が落とし、有岡城として大改修されました。
城下町を堀と土塁で囲んだ総構えといわれる守りの堅い城と言われています。
石の階段を上ると、広場みたいになってます。
石垣がお城らしさを出しています。
石垣はよく見ると、いろんな形のものがあって
中には墓石のようなものもまじっていました。
伊丹市教育委員会が設置した有岡城跡の解説碑
あらきたし
霜かれに残りて我は八重むくら
なにはのうらのそこのみくつに
荒木村重
思いきやあまのかり橋ふみならし
なにはの花の夢ならむとは
『信長公記』より
鈴木充筆
漢文のような石碑がありました。
井戸のあとは2カ所ありました。
ここで水を汲んで豊かな暮らしをしてた時期もあったのですね。
フランドルの鐘
ハッセルト市から平和と友好の象徴として姉妹都市伊丹市に贈られたもの。
官兵衛ゆかりの藤
荒木村重は黒田官兵衛を土牢に幽閉しました。
官兵衛が力強く咲く藤を見て生きる勇気を得たという逸話は有名ですね
官兵衛ゆかりの姫路城の藤から育てた子孫樹が植樹があります。
昭和54年(1979)、「国の史跡」に指定されました。
JR伊丹駅とつながるような形で公園になっています。
伊丹の駅前はきれいに整備されていました。
あちこちに案内版のようなものがあって、親切だなぁと思いました(*^-^*)
このあと、街を散策✲゚。.(✿╹◡╹)ノ☆.。₀:*゚✲゚*:₀。
コメント
伊丹城と荒木村重のこと。よく調べていますね
この話題になると、JR伊丹駅の伊丹城跡だけで話が終わらなくなるので
私は、ブログではアップしていません
伊丹城は古墳の上に築造されたと調査で言われていますが、他にも伊丹市内には古墳を利用した砦があったようです。
現存しているのもあります。
パソコンの調子が悪くて、書き込みする前にアップされてしまいました
続きです
伊丹市内には多くの古墳がありまいたが、ほぼ壊滅状態ですが、
まだまだ残っていますよ、ただし、ガイドが必要なくらいマイナーな場所
上記の砦も現在は遠巻きにしか見学できません。
ここまで伊丹の事調べたのなら、いつでもガイドいたしますので!
連絡くださいませ!
こんにちは(*^-^*)コメントありがとうございます!
最近は池田市内はだいたいまわったので、伊丹と川西に遠征しています♪
伊丹は緑道がとても気持ちよくていいですね!
伊丹城は古墳の上なんですね!それは気づきませんでした!
またいろいろ教えてくださいね
次はバラ園とその周辺を散策する予定です(*^-^*)