猪名川の絹延橋あたりの川の中に大きな岩があって
「人取り岩」と呼ばれているのですが(人喰い岩とも呼ばれたそうです)
なぜそう呼ばれるかというと、
人の顔や姿をしてるわけではなく
昔、洪水があった時に流された人が土左衛門 😯 となって、
よくこの岩にひっかかっていたので、このように呼ばれており、
別にお助け岩というのもあったそうです。
昭和58年に記された「がんがら新聞」中島先生の記事によると
この岩は昭和26年のルース台風か昭和28年の台風13号の
どちらかで横倒しになって水没したとされています。
しかし他の方が最近書かれたブログ等には横倒しになって水没したであろう岩が見えている写真が掲載されています。
川が浅くなったから、水没した岩が見えているのでしょうね 💡
調べてみると河川改修工事がされる時に住民とこの岩の現状維持を約束していましたが、業者へ伝わっておらず巨大な削岩機でかなり削られてしまって小さくなってしまったようです。
実際に見に行って探してみたのですが
わからなかったのでまた見つけたら写真を掲載します 🙂
さてこの絹延橋から中橋の間ぐらいに大正時代ぐらいから
貸しボート屋さんが二件あって合計で50隻のボートがありました。
南の吉見は20隻で黄色のライン
北の藤田は30隻で赤いラインをオールとボートにつけていた。
昭和初期の地図で見てみると記載がありました。
6月には蛍が飛び交い、夏の夜は中橋から絹延橋の間一面に
ボートの提灯が川面に揺れて、涼風を求める若者で賑わったそうです。
1時間5銭で、小学生が一人で行っても貸してくれました。
中橋から絹延橋までがボートで行ける範囲で、当時は今より水深が深く水も川幅いっぱいにあって、広い範囲を漕ぎ回ることができました。
人取り岩にボートをこぎ寄せて岩を眺めたりもしたそうですが
なんとなく不気味に思えたと記述があります。
この辺りにお住まいの方に聞きましたら、
昭和30年代にはこの貸しボート屋がまだあったそうです。
夜も、舟の後方に提灯をつけて貸しボートの営業がされていて
ボートは木造で5~7m位あったとか。
いつどのようにしてボート屋さんがなくなったのかは
詳しいことがわかりませんが、昭和16年頃まではあったようです。
↓こちらは現在の中橋のあたりです。
だいぶ浅いのでボートを漕いで回れるような雰囲気ではありません(*_*)
でもビッグハープが綺麗に見えて雰囲気よく、夕方はお散歩する方が多いです♪
最後までお読み頂きましてありがとうございました( ・◡・ )♫•*¨*•.¸¸♪