田村駒治郎は池田市が誇る偉人!公会堂を建てビリケンの商標登録、五月山の一部を寄付

田村駒治郎さん
1866年幕末の頃、大阪府池田市槻木町の笹部氏
「神田屋九兵衛」の次男に生まれる
小林一三さんや広岡浅子さんと同じ時代を生きることになります。

↓池田市立歴史民族博物館にある銅像、もともとは池田公会堂にあったものです。
 許可を得て撮影、掲載しています。


池田は造り酒屋が多いことで知られていますが
駒治郎さんの生まれた家も酒造業を営んでいたそうですが
経営がかなり傾いていました。父親が9歳の時に亡くなり
駒治郎13歳の時に酒造業の西田商店に奉公に出ます。
この時、兄の市太郎も違う酒造業へ奉公にでます。


駒治郎はこの西田商店(今でいう呉春酒造)で頭角を現し
アイデアを出していきます。子供の頃から絵が得意だったと言われています。

この時代は家督を継ぐ者には徴兵を免除されていましたので
次男だった駒治郎は親戚の田村キクの養子に入り
徴兵を逃れ「田村駒治郎」となります。

この駒治郎さん、一代で莫大な財産を築くこととなります。
日清戦争の好景気にぐいぐいと業績を伸ばしていきました。
日露戦争、第一次世界大戦を経てさらに業績は倍増します。

1918年に田村駒商店が設立されます。
ちょうど、安藤百福さんが9歳ぐらいの時で
広岡浅子さんがお亡くなりになる頃のことです。

その後、関東大震災が起こり世界恐慌へと落ちていきます。
駒治郎さんも打撃を受けますが
持ち前のアイデアで倒産の危機を乗り越えます。

1921年に大阪市議会議員
その後貴族院議員に選出され、政界でも活躍されます。

1931年、66歳の時呼吸困難でお亡くなりになります。
葬儀は四天王寺で行われました。

そして駒治郎さんの遺言で出生地の池田市に多額の寄付がされ
そのうち8万円を使って現在の市役所があるところに敷地面積626坪あまりの
池田公会堂が建設されました。
外壁はモザイクタイル張りで鉄筋コンクリートの立派なものです。

この公会堂では、徴兵に行く前に壮行会が開かれることもあったそうです。

また、大正11年には池田小学校の設備費も寄付されていました。


田村駒治郎さんといえば
ビリケンさんでも有名です。
本家本元のビリケンさんは田村駒の会社内にあり
通天閣のビリケンさんに続き、複製二号が池田にあります。
ビリケンさんについての記事を書いております↓
ビリケンさんの足の裏がテカテカで眩しい!「福の神」池田市栄本町に鎮座

五月山公園の赤い橋から向こうにはバーベキュー広場「緑楓台」があるのですが、
あの辺りに、田村駒治郎さん所有の洋館があったそうで
今もその後がタイルのようになって残っています。
そこを池田市に寄付されたそうです。

写真を撮ってきました↓紅葉が綺麗!

最後までお読みいただきありがとうございました。

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コメント

  1. 中村 より:

    凄い〜凄い!。 早速取り上げ調べて下さって有難うございます。
    ひとつ疑問が有ります。作り酒屋の「西田」さんとは、呉春さんの事でしょうか?
    確か呉春さんの苗字は西田さん? 現在呉春の酒をツケで買えて優先的に売って貰える酒屋さんは、私の親しい新見酒店と、警察本署近くの酒屋さんしかないと思います、(最近は呉春も前ほど売れてないかな?) 来月には退院のめどがついたので帰宅できます。 早速その件は聞きに行きたい、そして、呉服神社の前の宮司、馬場磐根さんに奥の
    【姫室】と書いた田村駒次郎様の事も聞きたいと思います。
    有難うございます、中村

    • アバター画像 rika より:

      こんばんは
      西田さんは呉春さんではないかなぁと思います。
      西田商店(西田與兵衛)だそうです。
      また中岡さんに会ったら聞いてみます。

      こんな記事をみつけました↓

      皆様のほとんどは「呉春(ごしゅん)」という酒の名前を聞かれたことがおありでしょう。
      大阪を代表する有名な日本酒ですが、その伝統と技から生まれる呉春の魅力の本質をご存知の方は少ないと思います。
      そこで、今仲酒店の地元でもある池田市で伝承される最高の酒「呉春」の魅力を皆様にご紹介いたします。

      ■「呉春」は「池田の酒」という意味
      蔵元のある大阪府池田市はかつて伊丹とならび天下の銘醸地として知られ、元禄の昔から銘酒番付の上位を独占した町でした。
      「呉春」の「呉」は池田の古い雅称「呉服の里」に由来します。また、「春」は中国の唐代の通語で「酒」を意味します。つまり「呉春」とは「池田の酒」の意味です。
      ■「下り酒」として江戸時代に重宝され、有名になりました。
      池田の酒は「下り酒」として江戸時代に重宝され、銘酒として名を馳せました。その中で特に「呉春」は今でも全国的に知名度が高く人気のあるお酒です。
      (下り酒とは関西から関東に入ってきた酒のことを指します。)
      ■谷崎潤一郎が愛飲した酒
      小説家谷崎潤一郎が好きだった酒としても知られています。蔵元の西田氏は谷崎潤一郎氏と個人的な交友があり、「西田さん、呉春持ってきて。」とよく頼まれたそうです。「細雪」や「卍」を執筆する谷崎氏の傍らには大好きな呉春があったようです。