辻ケ池公園(あわんど池)の歴史【狐や白蛇や下弦の月】池田市

旧池田市立図書館へ行く時に橫を通る辻ケ池公園」
「池」とつくぐらいだから、元は池だったんだろうなと思ってましたが、、

江戸時代に造られた上池と下池の二つの「ため池」があって
池田城主の奥方や、白へび、きつね、下弦の月など
いろんなお話しが出てきましたのでご紹介します( ・◡・ )♫•*¨*•.¸¸♪

現在の辻ケ池公園

●住所 大阪府池田市上池田2丁目3-6(阪急池田駅から徒歩約15分)
●設備 トイレ、自動販売機、自転車置場、スロープなど
●遊具 ネットトランポリン、スウィング遊具、ふわふわ山 など

貯留施設にもなっております♪
とても大きなグラウンドと、いろんな遊具のある場所が分かれていて
スロープがあるので、ベビーカーで入りやすいし、自転車置き場もあって
安心&便利に遊べる公園です(^^)/
園内には桜の木が約30本植えられています


道路を挟んで撮影!ひろーーーい(^^)/

池田市市制30周年記念!


辻ケ池の歴史

1611年 上池と下池からなる辻ヶ池が人の手で造られる
1965年 辻ヶ池が埋め立てられる
1966年 辻ヶ池の下池の埋立地に、市立中央保育所が開所される。
1969年 上池跡地に辻ヶ池公園が開設された。

辻ケ池は「ため池」として造られました。

辻ケ池はあわんど池とも呼ばれていた

池田城主の奥方が阿波出身で阿波から多くの人が住み着いたので、
阿波堂(人)池とも呼ばれました。
すぐ近くには「あわん堂」があります。

池田市史に書かれている伝承です(^^)/
戦国時代まで城南の辺りは荒れ地で、国人池田氏が農業振興策として
この地を新田として開発しようと考えた。
池田城主池田氏の後室が阿波の国から迎えられたことを契機として
この開発に阿波の人々を従事させ、カンガイ用の池を掘らせた。



あわん堂については別記事があります↓
あわん堂の薬師如来像は平安時代後期の作


なんと!狐にだまされた場所

池田市内には、東畑、西畑、上渋谷に狐に騙された話が残っていますが
辻ケ池のあたりも、狐にご馳走を盗られ、だまされる場所で、
村人にとったらそれはそれは恐ろしい場所でした。
うっそうとしていて、怖い雰囲気だったようです。

白へびのお話し

辻ケ池は池の底がすり鉢のような形をしていて
一度足を滑らすと深みにはまる、なんとも恐ろしい池だったそうです。
池の橫には大きな木があって、この木の根元のあたりに
白へびが住み着くようになりました。
ある日、子ども達がこの白へびを見つけて騒いでいると
偶然通りかかった人が捕まえて持っていってしまいました。
しばらくするとなぜか、木の根元に白ヘビが戻ってきていました。
その後、この白ヘビは池の守り神として親しまれました。
白へびを捕まえた人は原因不明の病気で死んでしまったそうです。

辻ケ池は人間にとってはなくてはならない「ため池」でありますが
恐怖の場所でもあり、神聖な場所でもあったようです。

二十三夜祭

平成7年に発行された「昭和初期の池田」参照
上池田町内会では、毎年「三夜待ち」という行事が行われる。
1月23日の夕方から夜半か翌日の明け方まで「求福除災」を祈る。
昔は町内の古老たち、現在では町内会の役員が寄り集まります。
江戸時代後期から戦時中も絶えず約150年続けられてきた。
口伝によって上池田薬師堂前に村役と古老が集い「あわんど池」の
ほとりまで出向いて下弦の月の出を迎え、夜が明けるのを待つ。

今(1995)では新暦を使う。
1月23日夕方から上池田町内会の役員が薬師堂に参集して
昔から「三夜待ち」に伝わる掛け軸を掲げ二礼二拍一礼を行う
その後役員は会費を持ち寄り、遅まきながらの新年会を兼ねて
お供えの海・山・里の幸を入れた豆腐汁をすすって、
この1年の求福除災を祈念する。

この二十三夜祭は、現在(2020)でも行われているそうです。
上池田にお住まいの方に聞きましたら
「祭りというほどのことはないけど、今でも続いてますよ」とのこと。

参考文献

新修池田市史
昭和初期の池田

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