川西の甘露寺へ行った帰り、のんびりと電動自転車を漕いでいたら
右目の端にチラッとなにやら石碑がうつった(^^)/~~~
おぉ!石碑が私を呼んでいる♪
通り過ぎてから気になって戻り、
しまむらの横から北側へ行ってみると、、、
むむっ!もしや普通のお家ではないかな、戻ろうと思ったが
石碑と祠があるよ、、お寺なのかなぁ、、、
「多田平野湯之町温泉薬師庵」と刻んである
温泉だから病気を治す薬師如来と関係があるんだわ!とピンとくる(^^)/
祠の中を見ると、小さい仏様がいっぱいおられる
平野温泉は摂津三湯のひとつ
能勢電鉄の平野駅周辺には
平安時代から塩泉がわき出ていて
江戸時代には有馬温泉・一庫温泉と並び「摂津三湯」と呼ばれ
二十数件も旅舎が並んでかなりの賑わいだったそうです。
残念なことに江戸時代末の大火で衰退しました。
有名な話では源満仲が鷹狩りに出かけた時に、
近くの塩川の谷間で一羽の鷹が湧き出ている水で
足の傷を治して飛び立つのを目撃したというのが残っています。
この湧水が霊泉としてあがめられ、摂津三湯のひとつである名湯
「平野の湯」になった。
摂津名所図会(川西市広報誌より)
「摂津名所図会」という江戸時代後期に刊行された、
文章で紹介した郷土誌があります。
この図会には江戸時代に摂津にあった湯として「有馬温泉」とともに
「平野湯」「一庫湯」の様子が描かれています。
図会によると平野湯の源泉は
「全く冷泉でもなく全く温泉でもない。その中間で滔々と湧きだしている。味はしおはゆく(辛い)渋みを帯びている」と記されています。
当時は源泉をつるべでくみ上げ浴室に運び、そこで薪をたいて温湯にしていたようです。
旅舎の様子は将棋を指す人、茶の湯を楽しむ人、蹴鞠の興じる人などが描かれており、表の人通りも多く、活気に満ちた様子がうかがえます。
おやくっさんの歴史 (岡本寺のHPを参照)
いろいろ調べましたところ、、、
ここは「おやくっさん」と呼ばれる薬師庵であることがわかりました。
現在はご近所の岡本寺が管理をされているそうです。
平安時代、医療の神様である薬師如来の信仰が盛んになり
平野町の湯屋役達は薬師如来をお祀りする「薬師庵」を建立したのが
この薬師庵の始まりなのだそうです(^^)/
この庵には尼僧さんがおられたのですが、
亡くなられてからは守る者がいなくなって、庵は傷んでいきましたが
近所の方々の努力や寄付によって昭和54年に再建されたそうです
江戸時代、平野温泉で医者をしていた苧蘿山人(ちょらさんじん)の墓石が岡本寺にあります。
岡本寺にある苧蘿山人(ちょらさんじん)の墓石
少し前に岡本寺のことを書いています↓
岡本寺は江戸時代からの古い温泉地「平野」にある/川西市
大正10年発行の池田町便覧より
こんな↓広告がありました。