麻田藩青木家菩提寺の佛日寺(仏日寺)は太田牛一の墓がある/池田市

渋谷高校のすぐ近くにある佛日寺をご紹介いたします♪

■山 号  摩耶山
■宗 派  黄檗宗 
黄檗宗大本山万福寺の末寺
■ご本尊  釈迦如来
■開 基  麻田藩2代目藩主の青木重兼
■住 所  
大阪府池田市畑1-18-17
■札 所  
北摂三十三ヶ所観音霊場 27番札所

山門


平成7年の震災で山門が倒壊し、再建しましたので
とっても綺麗で立派です(^-^)

↓こちらはお寺側から

山門に大きな魚が吊ってある!


この魚は開版といって、黄檗宗のお寺でよく見られる
木魚のようなものだそうです。
口にくわえてるのは煩悩のかたまりで、鱗の数は108枚
魚のように夜も眠らず精進しましょうという意味があります。

本堂


本堂も震災で倒壊したのでしょうか、とても新しく、綺麗です。
ご本尊は「釈迦如来」

中国のえらいお坊さん”隠元隆琦”(いんげんりゅうき)1592-1673

1654年に30人ほどの弟子とともに自ら日本にやってきました。
当時は徳川幕府による鎖国が確立していた厳しい統制の中、
長崎の出島に到着しました。

海を越えて、黄檗宗(曹洞宗、臨済宗とともに日本三禅宗の一つ)、
いんげん豆や、レンコン、たけのこ、スイカ、緑茶、ゴマ、ナス、もやし、印鑑、ダイニングテーブルなど、
多くの中国文化を日本に持ってきてくれました。

麻田藩2代目藩主の青木重兼は教養豊かな大名で
若い頃から禅宗に感心を持ってたこともあって、隠元に魅力を感じ

高槻市の普門寺に隠元が滞留していた時に帰依しました。

重兼が建立した、池田市畑にある松隣寺を佛日寺と改称し
1660年に隠元を招いて開山しました。
実際に隠元が足を運んで池田に来たそうです。
インゲン豆は池田と関わりがある/隠元/麻田藩菩提寺佛日寺




梵鐘

太平洋戦争時の昭和17年に大阪府仏教会池田支部が結成されました。
市内44寺が梵鐘・半鐘を献納することを決めました。
佛日寺の梵鐘もその時に献納され、戻ってはこなかった。
その梵鐘は弾丸となって敵陣に突入したのであろうと言われています。

現在は新しく梵鐘があるそうなんですが、
どこにあるのかはわかりませんでした。

庭園

厄除聖観音

                 こちらは直方堂という建物です↓

子安水子地蔵尊

布袋尊

麻田藩のお墓

麻田藩青木氏の菩提寺で、16基ある青木氏代々のお墓が
「重制無縫塔」と呼ばれる珍しい形式となっていて
池田市文化財史跡に指定されています。
お墓は門が閉まっていたので、中には入りませんでした。

明治維新後、麻田藩が消滅し
その藩主青木家の菩提寺として庇護を受け格式を誇ってきた佛日寺は
永続できる道を探り、大きく変動していきました。

信長公記を記した太田牛一のお墓

青木家のお墓とは、少し離れた場所にあるようです。
五輪の塔が二つあって、太田家一門と累代の墓石が並んでいます。
(実際に見てませんが、ネットで写真を見ました)
太田牛一を祖とする太田家の墓所で
麻田藩士として家が続いていたので、三代目から佛日寺にお墓があります。
初代牛一のお墓があったお寺は今は存在していないそうです。

みまもり地蔵と無難地蔵

みまもり地蔵が渋谷高校の生徒さんや、通る人を見守ります。
渋谷高校前のみまもり地蔵の入り口から入ると
無難地蔵が27体並んでおられます。

開山堂

初代藩主の青木一重公、慧林禅師、開基の二代藩主・青木重兼公の
木像が安置されているそうですよ

写真いろいろ





アクセス

阪急宝塚線「石橋駅」「池田駅」から徒歩は行けるけどちょっと遠いです。
「石橋駅」「池田駅」からバスで約10分石澄(渋谷高校前)バス停からすぐ。
お参りの方用の駐車場があります。

ユーチューブでご紹介


参考文献

池田歴史探訪 中岡嘉弘著
池田市史

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コメント

  1. 中村 より:

    佛日寺、新たな発見が有りました。僕が行った時は夕暮れで門扉は閉まり外から中を見たけど何も薄暗くて見えませんでした。 まさか、黄檗山の禅宗とは思わなかった。
    私と黄檗山は50年前、入社した薬品会社の研修で座禅を含めた勉強会で黄檗山万福寺に
    一週間滞在したのです。
    この隠元和尚の万福寺は厳しいですよ、本当に精進料理しか食べません、沢庵の古漬けを
    ひと切れ残し、茶碗にお茶を注いで沢庵で食器を洗い、最後に沢庵を音なく噛み砕いて
    飲み込み両手を合わせてお辞儀で終わります。
    もし、体調が戻ったら行って見たいです。 佛日寺ブログ有難うございます。 中村

    • rika より:

      こんにちは、お体の調子はいかがでしょうか?
      ここのお寺では、吊されているお魚が印象的でした。
      木魚の原型になったものだそうですね、
      万福寺は一度行ってみたいです。

  2. 中村 より:

    調子はまずまずです。舌ガンですからベロが60%位取られました。大変ですよ〜
    お魚を叩いて次のする事の合図になったりするのですよ。東司 庭 廊下 掃除が大変!
    でもね〜最終日に普茶料理を食べさせてくれたのです。「これこそ本物」の普茶料理なんだけれども、粗食に耐えた一週間、精進料理だけれども本当に本当に美味しいかった!!
    しかし、万福寺の普茶料理を思い出して黄檗に沢山ある普茶料理店に行ったんの!?
    「まずい」高い割にマズイ! 後で気付いたのだけど、一週間、野菜 汁物 御飯 沢庵しか
    食べてないから美味しいはずです(笑)でもね、萬福寺の中と外の商売屋さんとでは、萬福寺の方が断然美味しいと、今でも信じています(笑)単純なおっさんです。

    • rika より:

      こんにちは、ベロが60%も取られたのですか
      大変な手術をされたのですね、お大事にしてくださいね
      私は月に1~2回、陽松庵で座禅会に参加していてお掃除もしていますので
      掃除の大変さはよくわかります。床の雑巾がけが特にしんどいです
      普茶料理というのは一度も食べたことがありません。
      万福寺のホームページにのっているのを見てみると綺麗で美味しそうですね
      <五観の偈>が素晴らしいです。

  3. 中村 より:

    rika様にお聞きしたい事があります、中岡嘉弘様の本には「田村駒次郎さん」の事は載っていますか? 池田市に公会堂を寄贈した人なのです。五月山公園のもみじ橋から向こう側を寄付した人なのです。
    公会堂は僕は小学生の頃何回も行きましたし、もみじ橋もなく、そこから先は田村駒の別荘だったと思います。市の公民館で写真展があった時公会堂が写ってました、場所は今の市役所の右端です。昭和初期に駒次郎さんは亡くなって二代目が7万円寄贈して建てたそうです。後、呉服神社の左奥に大きな石碑がありますが「姫室」と書かれ裏には田村駒次郎と記してあります。是非判れば教えて下さい。槻木町出身の方だと思います。中村

    • rika より:

      おはようございます、今本を見てみましたが、田村さんのことは書かれていませんでした。池田学講座の本の146ページには少し載っていました。
      そういえば、今月のはじめに中岡さんと五月山で遊んだのですが、バーベキュー広場のところに白いタイルがぐるっと残っていて、ここは田村さんの洋館が建っていたところだと教えてもらいました。こんな森の中に洋館があったなんてなんて素敵な佇まいだっただろう、見てみたかっあなぁと思いました。
      中橋にある素敵な古い洋館も田村さんの別荘だったところのようですね
      池田学講座の本の内容は来週にでも文字を起こしてみますね
      今日もアルバイトなんです。行ってきます。

  4. 中村 より:

    ヤッパリ 五月山の別荘のタイルは、ひょっとしたらプールかも知れないですね?
    何回か潜り込んだ事はあるのですが水はなく、深いプールが有りました。

    中橋の洋館は元気に?なったら見に行きます。今の人は田村駒って何?
    知っている人は少ないですね。 間違ってなくて良かったです。
    有難うございます、中村