能勢街道の「めん茂坂」と「牛追坂」/池田市

大阪府池田市建石町の「めん茂坂」「牛追坂」をご紹介します!

青線が「めん茂坂」赤線が「牛追坂」↓
緑のところが石段になっていたそうです
馬車や牛車を行きやすくするために「牛追坂」が作られたそうで
今も多くの人が日常に近道として使っています。

明治11年にはめん茂坂の石段は取り除かれました。
小学校ができていたこもあり、この改修が促進したそうです。
6月11日の開通日には渡辺昇大阪府知事が来られ、
木綿屋茂兵衛は餅をまいたと言われています。
しかしこの道は坂を上がったところですぐに北へ折れるため
急坂は簡単に解消されなくて大正13年にようやく
大阪府が建石町の家を切り取りまっすぐな道へ変えた緩やかにしました。

それまでは人力車の客は車を降りて歩いたそうです。

めんも坂
池田の繁華街、本町通りの東入口にあたる一等地になります。
大阪・箕面方面を往き来する牛馬車や荷車で賑わっていました。



めん茂坂の名前の由来は
昔このあたりに「めん茂楼」という料亭があったことから来ています。


めん茂楼当時のパンフレット

このめん茂楼の娘さんである
細原はなさんと、シーボルトの二男の悲しい恋の物語が
池田市には伝わっています。
詳しくはこちら↓ご覧ください。
ハインリッヒ・フォン・シーボルトと細原はな


牛追坂
見えているお寺は「法園寺
牛馬が通るから牛追い坂と呼ばれました。




街のあちこちに観光案内の看板が出ていますので街歩きの参考になります。



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