池田市神田には
「常福寺」「法正寺」「法伝寺」という3つのお寺と
「八坂神社」があります♪
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今回は神田の ”常福寺” をご紹介いたします!!
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春は桜、5月はツツジが見事なお寺です!
山門に掲げてある「高野山真言宗別格本山」とは💡
真言宗別格本山というのは、
本山に準ぜられる由緒あるお寺という意味なのだそうです!
■山 号 清光山
■開 基 731年 行基とされている
■ご本尊 十一面千手観世音菩薩(池田市重要文化財)
■札 所 【摂津國観音三十三所霊場 第二十番札所】
【摂津國八十八ヶ所霊場 第五十九番札所】
■住 所 池田市神田3-11-2 阪急池田駅から徒歩30分ぐらい
本数少ないですがバスもあります。
ご由緒
731年に行基が建立したとされています。
この行基さんはスーパー僧侶で、
創建されたといわれるお寺が池田にもたくさんあります。
二世の「海然」が真言密教を究め
「牛頭天皇(神田八坂神社の祭神)」が降臨し、
それを八阪神社に祀り常福寺はその神宮寺(神社に付属して建てられた寺)として発展しました。 ↓八坂神社です
998年
常福寺は数え7歳で即位したという66代の一条天皇の勅願所となり
鎌倉時代には藤原景正(池田氏の先祖)が堂宇を修復しています。
1578年
荒木村重が織田信長に謀反をした時に、常福寺は村重側についたと思われ、
信長が伊丹城を落城した時に常福寺も焼失させました。
1606年
池田城主の池田光重が本堂を再建。
この光重は池田氏10代目「知正」の2代あとの人で
その子他紋丸によって慶長15年に八阪神社本殿が再建されています。
1720年
庄兵衛さんという方が母の為に木製の地蔵尊を奉納
1868年
神仏分離によって、八坂神社から仏様が移られました。
江戸時代の作といわれる薬師如来で、日光・月光菩薩を脇侍(きょうじ)とし
12神将(しんしょう)も一緒に厨子(ずし)ごと来られたといいます。
明治時代は神田の小学校(寺小屋?)として
常福寺を借用して授業を行いました。
塔頭たっちゅう(本寺に所属する別坊)があった
常福寺を本寺として「珠徳院」「西福院」「玉蔵院」の3寺がありました。
それぞれに住職がおられ、常福寺の本尊をお守りしていました。
このような形態が創建から明治10年代まで約1150年も続きました。
その後、明治25年までに塔頭3寺を整理したそうです。
御本尊
ご本尊の十一面千手観世音菩薩は900年代の作とされていますが
行基が自ら彫ったとも言われています。
高さ165㎝で両手を頭上にあげている珍しい仏像です。
普段は見ることができないませんが、池田市の指定文化財となっています。
織田信長や荒木村重の焼き討ちの時にも
必死で持ち出し逃げて助かったと言われています。
釈迦の入滅を描いた涅槃図の中では池田市最古のものがあります。
宝塔基礎
1293 年
藤原景正が宝塔を建立しました。
景正は戦国時代に池田地方を支配した池田氏の先祖と考えられています。
現存する宝塔基礎は、宝篋印塔と考えられ、一辺78.5cm、高さ39cm で、
鎌倉時代の数少ない石造物のひとつとされ、
池田市の重要文化財になっています。
墓地
織田信長の一族であった、津田氏累代の22基の墓碑があります。
7代目の津田直方の立派な墓が特に目立ちます。
八阪神社の宮司はその14代目にあたります。
現在の本堂は昭和7年に上棟
明治時代には阿弥陀堂もありました。
写真いろいろ
鐘楼と桜
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
八坂神社についてはこちら↓
池田市の八坂神社/本殿は国の重要文化財/早苗の森/七五三やお宮参りも
この常福寺は八坂神社と関係の深いお寺で、
巡航神輿の際はお旅所(神様が休憩するところ)となっているそうです。