リヤカーマンが紹介されていました。
ぱっと見は普通の優しそうなおじさん(*^_^*)
温厚そうでとっても素敵な方です。
お名前は永瀬忠志さん。
1956年生まれなので現在60歳
奥様もお子様もおられるそうです。
第10回 植村直己冒険賞を受賞
(ノ゚∀゚)ノ.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆
19歳から荷物をいっぱい乗せたリヤカーを引いて
地球を約1周以上歩いたそうです。
★19歳の時に日本縦断
★22歳からは世界に挑戦
貯金しては旅の連続だった。
教員免許を持っているので現在は大阪の高校の非常勤教師となって
冒険スピリットを教えている。
長瀬さんがまだ足を踏み入れていないのが
北アメリカ大陸
そして今回リヤカー旅に挑戦したのが
✿デスバレー縦断の旅✿
日本語では死の谷
アメリカ合衆国の国立公園の中で最大!
国内で最も暑く、最も乾燥した地域といわれています。
砂漠・渓谷・山脈と変化にとんだ地形も魅力で観光客も多いのですが
リアカーを引いて歩くには過酷すぎる環境・・
日本からおよそ一週間分の生活用品、
相棒のリヤカー「田吾作ジュニア3号」とともに
7月19日、アメリカネバダ州のデスバレーに近いラスベガスへ
ラスベガスのホテルでは田吾作ジュニア3号の最終チェック
「はじめての北アメリカ大陸の旅、はじまります。
やってみなければどんな旅になるかわからない、
真剣に旅と向かい合っていこうと思います。」
果物や卵、水、暑いデスバレーでは欠かせない日焼け止めなど
大量の荷物を田吾作ジュニアに積んでいよいよスタート!!
「よつしゃ!!」と
気合を入れてホテルをスタートしました。
短パンに白いTシャツ。
今回の日程ではデスバレーに隣接する北部の街、
ビーティーから南部のショショーニまで
約183キロを5日間で歩きます
1日平均37キロほど。
アメリカの中でも最も暑いとされるデスバレー
初日の気温は40°に迫ります。
リアカー旅40周年にふさわしい過酷な旅をと
デスバレーを選んだのです。
それはそれは暑そうです。
「暑いなぁ、あっついなぁ~」と叫びながら進んでいきます。
しばらくは舗装された道を歩きますが
途中からリヤカーは道なき道・・・砂漠へ
砂漠といっても、砂だけではなく砂利道も!
世界中を旅した相棒のリヤカーが悲鳴をあげることも・・
長瀬さんは日が暮れるまでひたすら歩きます
日没後は適当な場所を選びテントを設営
アメリカで一番暑い場所でも夕暮れは涼しいようです。
翌朝、あぐらをかいてコーヒーを飲み
また過酷な旅がはじまります。
この日の最高気温はなんと49°
日焼け止めを塗らないとやけどをしてしまうほどの日射し
あまりの暑さに旅を途中でやめてしまおうと思ったことが
何度かあったそうです。
長瀬さんの日記から
車に乗せてもらおう
死んではいけない、旅はここまででいい
このままでは死んでしまう
そんな思いをやわらげてくれるのが
たまに会う観光客との出会い
歩いてはとまり、とまっては歩きを繰り返し
酷暑の中を歩き続けた5日間
気温は50°を超えることも度々
いよいよゴール地点のショショーニへ到着!!
「よっしゃぁ!」
ひどい暑さだった、太陽に殺されるかと思った
あ~死の谷、死んじゃいけないと思った
ここでVTRからスタジオに変わります。
50°の中を歩き続けるってどんな感じなんですか?
しょつちゅうやめようと思いました。
旅に出て死を感じることってあまりないと思うんですが
歩いてるだけで死を感じるんでしょ
あの、食べたものをもどすとか
リヤカーのちっちゃい影のとこに体をまるめて休めるとか
気がついたら40分ぐらい寝ていることがありました。
夜、あんなとこにテント張ってますが危なくないんですか?
ええ、夜はもう横になってねてて
朝になると37°まで気温が下がっていて・・
今回の旅で長瀬さんのそばから離れなかったある動物がいたそうですが
コヨーテですね
これ、死ぬの待ってるんじゃないですか?
いや、近づいてきて友達になろうとしてたのかな、みたいな
後ろからずっとついてきてましたね(*^_^*)
そうゆうふうにとれる先生やから、この旅を続けられるんですね
これからもまだまだ旅を続けたいそうで
ジャングルや寒いとこへも行ってみたいそうだ。
長瀬さんにとってはとっても楽しいことなんでしょうね
好きなことをやって生きていく
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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