楠木正成の子孫が池田城主だった/湊川神社/寿名寺!驚きの池田の歴史

昨日、何気なく神戸に行ってみようかなぁ♪と思い立ち
中岡さんに「さて(^^) 私は神戸のどこに行ったらいいでしょう?」
と相変わらずのんきなことを聞いたら
「湊川神社か神戸ステーキやな」というお答え。

ふーん・・・とグーグル先生に場所を教えてもらって行ってきましたのです。
いつも仲良しな♪チームなかよし♪の私達


さて、楠木正成をご存じでしょうか?
私は正直、あまり知らなかったのですが
西郷隆盛や、坂本龍馬などなどが崇拝していた鎌倉時代の武将なのです

そして!びっくり仰天(°°)したのが!!
池田市と楠木正成はものすごーく深いかかわりがあったのです!

湊川神社というのが、楠木正成の最期の地なのです(^^)/
湊川神社=楠木正成ということも知らなかったこっぱずかしい私 テヘペロ(^^)

てっとり早く言うと
楠木正成の孫が、池田氏に養子に迎えられ
池田城主の池田教正になったのです!

*・゚゚・*:.。..。.:*゚:*:✼✿(ღ✪v✪)。゚:*:✼.。✿.。キラキラ♥

ここからは中岡嘉弘さん(なかよしさん)のブログを参照して書いております

楠木正成が湊川の合戦で、弟と差し違えて自決しましたのですね。
楠木正成の息子の楠木正行は能勢城のお姫様をお嫁さんにもらっていたのですが
(能勢地黄城主内藤伊賀守満幸の娘)
実家が敵方の味方をしたので、身重のまま実家の能勢へ返したのだそうです。
その後正行は戦死したようです・・・

池田城の初代城主と言われる池田教依がその子を憐れに思って養子にし
池田教正として自分の跡を継がせたということなのです。
この池田教正から代々の池田城主には正という字が使われるようになりました。

西本町にある寿命寺には
楠木正成が最期の地、湊川へ向かう途中に戦勝祈願に立寄り、
軍旗・兜・鏃などを奉納したものが今も保存されているのだそうです。
また正成の幼い頃から仕えた老臣「恩地左近」の寄進状、足利尊氏の恩賞状、
森本為時の軍忠状、和田助康の申文など南北朝時代の遺品が多く保存されている。
戦前は5月の節句には「楠公祭」が寿命寺で毎年営まれていたのだそうです。
 
現在も伊居太神社に格納されている池田新町のだんじりは
大正時代に楠木正成の生まれた千早赤阪村から牛に引かせて池田まで譲り受けられた地車で、その彫り物は楠木正成「湊川の合戦」奮戦の姿が彫出されているということです。 

 湊川の合戦への行路
千早赤阪村―京都後醍醐天皇に拝謁―伏見―山崎―櫻井寺宿泊―郡山(茨木市)-箕面(楠水竜王)-石橋―池田寿命寺―伊丹―昆陽野―尼崎―和田岬(西宮)-湊川「会下山」

湊川神社 2019年12月25日撮影

けっこう新しい建物です。

楠木正成のお墓

楠木正成最期の地

湊川神社につきましては、後日詳しく書かせていただこうと思っております(^^)/

↓↓↓書きました( ・◡・ )♫•*¨*•.¸¸♪是非お読みくださいませ<(_ _)>
楠木正成公の湊川神社に参拝

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