北摂の母なる猪名川に架かる緑色の中橋は氾濫で何度も流れた/池田市

川西市と池田市の間には「母なる猪名川」が流れていて
そこに架かる3つの橋は、呉服橋・中橋・絹延橋

今回は真ん中にある「中橋」をご紹介します(^^)/


ビッグハープの手前に見えているのが「中橋」いい景色~!
五月山の緑に合せて緑色にしたのかな👧


場所

池田側は新町で、池田駅から徒歩圏内です。
ビッグハープより少し南の池田駅よりにあります。

ビッグハープは池田市と川西市に架かる橋/阪神高速の新猪名川大橋

こちらは池田市の旧街道の案内図より↓

池田市に伝わる織姫伝説の織姫が到着した場所が「唐船が淵」で

今は石碑が立っています。

↓こちらわかりやすく童話にしました♪
織姫伝説☆ファンタジー☆池田市




橋の架かる新町は、昔は池田の玄関口で大変栄えましたのです!
そして、大正時代から貸しボート屋が2件ありました。
猪名川の人取り岩と貸しボート屋


グーグル地図(^^)/

中橋の歴史

呉服橋・中橋・絹延橋とも昔は木製で出来ていて
洪水で流されるたびに
新しい仮橋や補修を繰り返していました。
猪名川は暴れ川と昔の人は言ってた/池田市の水害

産業道路建設とのからみで、
昭和4年から7年かけて3つの橋は架け替えられていき、

鉄筋コンクリートの橋に変わっていきます。

最初に架け替えられたのがこの中橋で、
中橋は板を二枚並べた手すりもない粗末な橋だったので
「こんにゃく橋」と呼ばれていました。
渡るとくにゃくにゃと橋が揺れてそれはそれは恐ろしく、
子どもは渡るのをいやがりました(-_-;)

手すりもなく、くにゃくにゃする橋なんてまるで
アスレチックのよう(@_@)👧


大正14年
ナント!3回も橋が流されてしまいます。

洪水の時は、近くの人が板を岸に寄せて流れないようにロープでくくりつけたりしていたそうです。

大正15年 
町会で本格的な橋を架けることが議決される。

昭和 3年 
伊居太神社で起工式、当初は板橋の予定でしたが、幅4.5mの鉄筋コンクリート橋に変更され、欄干は最新式で橋上には電灯6個を備える。


昭和4年 
資金分担のことで川西市と調整が難航し、
竣工するも工事延期になり通行できないまま放置される。

そんな中、呉服橋の架け替え工事で代替橋として中橋が必要になったため
大阪府が調停に入り、池田市と川西市が和解し道路工事が行われ、竣工から3年を経て新しい中橋が完成した。

昭和18年 
中橋の欄干金属が太平洋戦争の金属回収で取り外される。
お寺の鐘も出されましたが、運良く帰ってきた鐘もありました👧

昭和53年 
池田市が現在の橋に架け替えた。

橋の写真

川西側に祠がありました。


緑色というか、エメラルドグリーンな感じ♪

だいぶサビが目立っていますね、、、


池田側から見た中橋
高速道路の暴風壁には龍のうろこモチーフが施されています。



中橋から見たビッグハープ
この辺りの景色はとても良いです、のんびりできますよ👧

呉服橋についても記事を書いています( ・◡・ )♫•*¨*•.¸¸♪
あの世とこの世を結ぶ場所に架かる旧順礼橋(呉服橋)の歴史

最後までお読みいただきましてありがとうございました<(_ _)>
参考文献/池田市史 わがまち歴史散歩 昭和初期の池田

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