めん茂楼のはなさんの歌「風恋桜」いろんな方のご協力に感謝!池田の歴史

昨年の夏に完成した( ・◡・ )♫•*¨*•.¸¸♪
めん茂楼のはなさんの歌「風恋桜」ふうれんおう
いろんな方々にご協力いただき、とてもいい曲になってきました。

池田郷土史学会の2月例会では
郷土史学会始まって以来の前代未聞と言われながら
ギター弾き語りで歌ってきました。

はなさんのお話しも少しさせていただいて、皆様興味深く聞いていただきました。

このユーチューブ↓にUPした音は
演奏いいのに、歌がイマイチとさんざん言われ(~o~)

あれから必死に練習して今は少しマシになっております、、、

作詞作曲/篠原利香
編曲/ジェームスミノダ
演奏/ジェームスミノダ 篠原利香

はなさんとハインリッヒの絵 福田浩司さん
池田郷土史学会の出版物に風恋桜の詩が掲載されるため
挿絵を描いていただきました。


↓こちら最近ジャンカラで練習した時の音です。
ギター1本バージョンです(^^)/



明治時代、池田にあった料理旅館「めん茂楼」の娘、はなさんが
シーボルトの次男であるハインリッヒ・フォン・シーボルトに見初められ
当時の大阪府知事の媒酌で結婚。
その頃としては珍しい国際結婚で世間を騒がせました。

女の子を早くに亡くしましたが
約十年という幸せな歳月を過ごしたそうです。
しかし夫が帰国する時に、両親をどうしても置いていけず、
最愛の夫と離ればなれに生きる道を選び、
その後二度と会うことは叶わず、夫は母国で亡くなります。

またいつか会えると信じていたはなさんは嘆き悲しみ、
やがて出家し、夫のために大廣寺に建てた宝篋印塔に思いを刻み込み、
その横に自分の墓を建てて、今は寄り添うように眠っています。

色々と調べていくと驚く事実がわかりました。
ハインリッヒは東京にも妻がいて、名前が同じはなさんでした。
その子孫がシーボルト協会を立ち上げて研究をされているということを知り、
池田のはなさんについて問い合わせをしてみました。
すぐに返事をいただきましたが
「そのような事実はなく、荒唐無稽なものという判断」ということでした。

めん茂楼のはなさんの悲痛な叫びが私には聞こえたような気がしました。

こんな風に忘れられることがないように、
宝篋印塔に文字を刻んだのではないでしょうか。
はなさんがハインリッヒと肩を並べて歩いためん茂坂の風景を思い浮かべながら、
幸せだったはなさん、
信じて待っていたはなさん、
もう逢えないと諦めたはなさんを詩にし、曲として完成しました。

宝篋印塔を前にすると、はなさんの恐ろしいまでの強い思い
「私がハインリッヒの妻です」という心の叫びが伝わってきます。

風恋桜 ~めん茂楼のはなさんの歌~  作詞作曲 篠原利香

めん茂坂に揺れる桜吹雪あなた覚えてますか
ふたり寄り添い肩を並べて歩いたね 今ははるか

はなは美しいと言ったでしょ 花びら一枚手に乗せて
この世にたった一つのはな 大切に握りしめた
胸に耳をあてればあたたかい時が刻まれる
見上げれば深い瞳の中に私がいる ずっと ha 

めん茂楼に春が来る ひとり辻が池でまどろむと
いだかれて感じるひだまりに 包まれてひらりふわり
忘れないで愛しい日々 いつの日か会えるその時まで
結んだ糸にのって空も海も超えてあなたへ 届け ha

めん茂坂に舞い散る桜吹雪 もう一度あなたと
寄り添い肩を並べて歩いてみたいね 今ははるか

あれから何回、桜吹雪を 一人でみつめてきただろう
あなたがいない あなたがいない 心が届かない
祈ることしかできないなら この思いを刻んで願う
二人の愛が沈んだ谷で私は月を吐く ふわり ha
忘れないで風恋桜 寄り添ってずっとそばに

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