五月山の愛宕神社までハイキング【がんがら火祭り】/池田市

池田市の五月山にある「愛宕神社」をご紹介します!

■御祭神 火之迦具土大神 武甕鎚大神 佐伯部祖神
■住 所 池田市綾羽2-20
■最寄駅 阪急宝塚線 池田駅

大阪府池田市の大阪府重要無形民俗文化財に指定されている
「がんがら火祭り」というお祭りは
1644年から毎年8月24日に開催されるのですが、
この愛宕神社で松明に火を点けます。
愛宕神社はがんがら火祭りと深く関係しています。

↓こちらに詳しく書いてますのでよろしければお読みください♪
がんがら火祭り「愛宕火」は造り酒屋の苦しい経営から始まった!

愛宕神社へはハイキングコースで!

車の場合
五月山ドライブウエー(有料)ですぐ。

徒歩の場合
最寄駅は阪急宝塚線池田駅
改札を出たら、まずは五月山公園を目差して歩いてください。

五月山公園の売店の横から
ハイキングの案内が出てます。↓ここです!この道を進みます

少し進むと、こんな感じの光景が見えてきます

何回も↓案内図出てきました。
今自分がどこにいるのかわかりやすいです。親切ですね(^^)/

お地蔵様がおられました。
調べてみましたが、このお地蔵様のことはまだわかりません。
知ってる方おられましたら教えてください<(_ _)>


どんどん進みましょう!道は綺麗です(この段階では)
赤ちゃんを抱っこした人も歩いてました。


まだまだ階段道が続きます。ちょっとしんどい・・・ぜいぜい(~o~)

日曜日だったので通りすがる人はチラホラ
平日はあんまり人気がなさそうです。女性一人だと危険かも。

あら、なんか見えてきましたよ「六丁」と書いてあります。
「愛宕美の松明散らす町下向」大谷白船
これは愛宕参道「句入り丁石」です。
元禄8年(1695)参道標石を建てましたが廃絶されていました。
林田安平氏(炭翁)がこれを残念に思い参道の改修を機に
当時の俳人達に呼びかけて昭和初期にそれぞれの自作の句を
刻んだ丁石を建てたものの一部が残っています。(池田歴史探訪より)

ここまで登ってよかった!と思える景色♪
ビッグハープが美しい(#^_^#)しばし眺めに見とれる。
このあともっとすごい絶景に出会います♪

さぁ♪秀望台です!(元市長の武田義三氏が命名)
鳥居らしきものが見えてきました!神社はまだ先になりますが
これが愛宕神社の一の鳥居になるそうです。

ここまで来たご褒美かのように素晴らしい景色が待っていました!
動画を撮ってきたので是非ご覧ください。

これ実際に見ると心が洗われる気分になります(^^)

さらにテクテクぜいぜいと少し行くと、
こんな休憩スポットみたいなとこがありました。ウォンバット!


また階段道です。人と会うことも少なくなってきます。
だいぶしんどいですが、森林浴みたいで気持ちいいです。
道はとてもわかりやすくて迷うことはないと思います


発見しました!「句入り丁石」三丁
愛宕火や靄(もやのこと)せまる麓町 吉田雨夕

開けた場所に到着です。
トイレはけっこう何カ所かにありましたので、心配しなくて大丈夫です。
ここにはかき氷を売ってる車がありました。

ここの向いあたりに五月台という場所があります。
愛宕神社へ車で行くときはここに停めるといいです。
ここからの景色も絶景でした。↓こちら五月台です。

そして道路に出て少し進むと、すぐに見えてきました。
もうついたの?って感じでしたが「愛宕神社」です(^^)/

愛宕神社に到着!



こちらが二の鳥居になるそうです 


拝殿と神殿

拝殿 昭和49年に再建

拝殿に何やら大きな石

賽銭箱にがんがら火の松明かと思いきや、宝珠と刀だそうです。
がんがら火の雰囲気に似てますよねぇ・・・

神殿 昭和44年に再建されました。

この鈴の持つとこに「出雲大社大阪分祀」と書いてあるのですが

なんで?と思いましたが帰ってきてから調べましたら
「へーーー!」と思うことがわかりました。

社務所と摂社

大日大聖不動明王

役の行者の祠

松伯稲荷大明神

行者様が祀られています「神変大菩薩」


全体を動画撮ってきました(^^)/



この境内から弥生土器や古墳が発掘されました。

これは2000年以上も昔に祭祀が行われていたことを思わせます。
奈良、平安時代にここに原住民族の「佐伯部」が住み
狩猟生活を行っており、北山麓に砦を築いて勢力は盛んでした。

粗暴な性格で、天皇が愛していた鹿を殺したことによって
西国に追放されたと言われています。

その後、ここには箕面勝尾寺の支配を受ける
「上仙寺」という寺院が建てられました。
元禄10年(1697)の記録に上仙寺には常任院・地蔵院・地蔵堂があって
「愛宕権現社」の小さい祠があったと書かれています。

吉村亀治氏

出雲大社大阪分祠の初代教主と愛宕神社宮司との邂逅を記念した石碑です。

昔々、吉村亀治という人がいました(1913-1984)
亀治の祖父は大峯山に何度も登った行者で、厳しい人柄でしたが
亀治はかなり祖父の影響を受けて育ったそうです。
農業で家は貧しかったようですが、兄弟との仲も良く、
そして遊び好きの一面もあったそうです。

初めての兵役を終えた亀治は友達と箕面へハイキングに行ったそうですが
はぐれてしまい、ウロウロしてる間に五月山の方へ行ってしまい
さらに彷徨っていると鳥居が見えたので、その頃から信心深さはあったのか
境内へ入っていきました。そこが五月山の愛宕神社でした。

その時の宮司が内海敏勝。
内海宮司は亀治を一目見て気に入り、神力を感じ取って
「あなたが来るのを待っていた」と言ったそうです。


内海宮司は広島生まれ、
新聞社に勤めていましたが修行をしていたそうです。

40歳を過ぎて退社してからはさらに修行を重ね
妙見山で五月山の愛宕神社のことを知り、
やがて前任者より愛宕神社を引き継ぎました。


内海宮司と亀治はいろいろとやりとりをし
自分の跡を継ぐように亀治に頼むが断られる
だがその後も何度か亀治は愛宕神社に通い内海宮司から様々なことを学ぶ

この五月山の麓に出雲大社の池田教会があって
愛宕神社への参拝を続けるうちに出雲大社教の人とも知り合うことになる。

亀治は昭和15年、18年と軍隊に招集されます。
18年の招集の時に内海宮司が倒れ、休暇をとって駆けつけた亀治に
どうしても跡を継いで欲しいと頼み込み
その20日後に内海宮司は亡くなります。

そして亀治は終戦後、愛宕神社へ向かい、内海宮司の妻から
内海敏勝が石上神社で修行した際に授かったという御剣を受け取りました。
その後、出雲大社池田教会の仲立ちにより出雲大社教に参入し
「出雲大社教河内教会」となる。(備忘録様参照)

そうゆうことが↑の石碑に刻まれてるようなのですが
字が読めなくてわかりません(*_*)
そんなことで、出雲大社との関係があるそうです。

(火之迦倶槌神の神徳で)悪因縁を切るだけでは人助けは十分ではない。
悪因縁を切った後に(大國主大神のご神徳で)よい縁を結んでこそ救いは完全なものになると亀治は語っているそうです。

写真いろいろ

社務所
↓がんがら火祭りの大松明です!

手水です。
水道はここまで上がっていないので天水(雨水)と運び上げられた水で
まかなわれているようです。
この大きな石にもうっすらと何か文字が彫られているような感じ(?_?)

桜が咲きかけでした。

古い燈籠

この神社の傍にに昔は名水の湧く井戸があったそうで
この水を汲んで秀吉が「望海亭」茶を喫したと言われています。

このあと、望海亭跡へ行きました↓
望海亭跡は豊臣秀吉も来た五月山にある亭屋/山川正宣


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最後までお読みいただきましてありがとうございました。
がんがら火祭りの始まりについて書いた
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