明治時代、農村をまわった薬屋などが置いていったであろう書き物には、
しもやけにはかぶらの汁とセンダンの実を入れ煎じ洗うべしとか、、、
今読めば笑って 😀 しまうような民間療法やおまじないのようなものが
書かれていたそうですが、明治政府はこれを否定し、
西洋医学の知識を持った医者を増やしていきました。
明治28年 市立池田病院が規模を拡張
明治39年 豊能郡医師会が設立される
役員に博愛病院の弓場貫一氏など池田町の開業医が就任
大正10年発行の池田町便覧に掲載されている広告です↓
明治時代の伝染病には天然痘、コレラ、ペストなどがありましたが
今から約120年前の明治32年から33年はペストが流行しました。
何回もの世界的大流行(パンデミック)が記録されていて、
特に14世紀に起きた大流行では、全世界で1億人が死んだと推計されており、
当時の世界人口を4億5000万人から3億5000万人にまで減少させたとあります。
ペスト菌に感染したネズミやノミなどに咬まれることによる感染や
空気中に漂うペスト菌を含んだ飛沫を吸い込むことによる飛沫感染があります。
伝染病にはまず予防、検疫、消毒、患者の隔離が必要な措置であることが
国によって明示されました。
ほぼ、今と同じですね
池田市史には、
伝染病によって日本の近代医学は鍛えられたと言ってもよいとされています。
現代と少し違うのは、人々は伝染病も恐れたが、警察官も恐れたそうです。
明治32年、台湾から来航した船からペスト菌を持ったネズミと
感染した船員が神戸港に上陸したところから
大阪・兵庫・広島・福岡・和歌山などでペストが流行しました。
呉服橋西詰めにある池田駅でも検疫が行われました
神戸方面からの汽車の乗客を対象としたもので
わざわざ検疫委員が出張しての実施でした。
こうした努力がされていた中ですが
明治33年5月には池田でも患者が発生しました。
患者は池田尋常小学校に通う生徒でした。
患者の家路地の八軒は交通遮断、小学校は登校禁止し、大消毒が行われた。
兵庫県を含む周辺の村には池田にペスト発生の事実が公文書で通達され
当分池田への交通を差し止めた。
学校再開後は臨時予防接種としてハフキン液注射が行われている
そして予防接種の5日後には健康診断を行った。
(ヴァルデマール・ハフキンによって最初のワクチンが開発された)
池田では全町でネズミ狩りが行われ、一匹5銭で買い上げられた。
付近の人々600人にはハフキン液の注射が実施されました。
稻束家日記には小学校が休校となり、
数日後には家族全員が健康診断を受診
天井から床下までの大掃除
6月に入ってからは「ペスト針スル」と
学校で2回にわたり注射が行われていたことが記されています。
今からおよそ120年前に恐れられたペストは、
今の日本では死亡例はありません。
感染病が流行してはそれに打ち勝ってきた人類。
新型コロナウイルスも、近い未来にワクチンが開発されて
過去の出来事として歴史に残ることでしょう。
1日も早い収束を祈ります。
池田町便覧に掲載されていた広告↓
参考文献/池田市史・池田町便覧・わがまち歴史散歩