辻ケ池公園の近くにある、小さな神社を見に行ったら
鳥居に「呉服神社」と書いてありました(^^)/
呉服神社といえば、池田駅前にあるえべっさんでお馴染みの方が
とても有名なんですが、、、
このもう一つの呉服神社については以前からご質問いただいていたのですよ
「なんで呉服神社がふたつあるんだろう?」
「どうゆういきさつなのか知りませんか?」などなど、、、
支店みたいな感じかな、、、とかいろいろ想像しましたが、ウーム🤨
調べてみましたら、池田市史に答えが書いてありましたのでご紹介します。
池田市史は少し難しい言葉を使っているので
私なりにかみ砕いて解説いたしますね♪お付き合い宜しくお願いします。
間違ってるとこあったらコメントくださいませ<(_ _)>
場所は大阪府池田市五月丘1丁目10
昔は下渋谷村と呼ばれていて、麻田藩領でした。
五月丘の呉服神社です♪
御祭神は「応神天皇」「呉服どり(姉の方)」と、室町と同じです。
こじんまりした神社で、橫にコインパーキングがあります。
織姫伝説は、ファンタジー童話にしたので読んでみて下さいね♪
織姫伝説ファンタジー
手すりのある階段をあがっていきます♪
さっぱりとした明るい空間に小さな本殿
橫には手すりのある階段がついています。
橫から見るとこんな感じです。
はしっこの方に、何やら意味深な石が3個ありました。
なんか彫ってあるような雰囲気もあります。
横手からつながる遊歩道は、歴史民俗資料館の方へ行くのかな
すごく古い手水のようなもの
もともと下渋谷にいた人達は「ええ衆」と呼ばれていた
ジュエモンやモンゾウと呼ばれる屋号の二件が古いと言われ、
ヘヨモン、シチベイ、ジンエモン、イスケ、ジンベ、モトヨモン
ショウベイ、モヘイ、シンザ、カンスケ、イチベイなど
同行(ドウギョウ)の17件が古い家筋で、
彼らだけの宮講や伊勢講や念仏講がありましたそうです。
分家は同行にはなれず、同行は池や宮、山の株を持っていて
サイノカミサン(救いの神)を1月27日に祀っているんだとか。
「サイノカミサン」とは何でしょうか、、、と調べてみると、ふぎょぎょ!
上渋谷と下渋谷の昔の庄屋で、年貢軽減を青木のお殿様に直訴して
首をはねられたとか、、、しかしおかげで年貢は安くなりました。
この庄屋の男気あふれる義心を偲び、祀られたといいます。
下渋谷会館の東裏の畑に小さな祠があって、
1月27日はその庄屋チョンベイさんの命日なんだそうです。
狛犬の土台のとこに、世話人のお名前が刻まれていて
先ほど同行の中にある名前もありますね
左右で違う人のお名前です
呉服神社問題を考える際に「村切り」を知る必要があります!
江戸時代の検地によって村の境界を決めて、村落の範囲を確定することで
ややこしかった集落と耕地の関係を整理しました(^^)/
田畑を耕す水や、山から得る草肥・燃料等は農業や生活に欠かせないもので
いろいろともめる元であったことから、
ハッキリさせたということでしょうか、、、
氏神も村人にとっては精神的な支えでありました
下渋谷村ではもともと池田の伊居太神社と呉服神社を氏神としてきましたが
寛永年間(1624~44)に下渋谷村の中に新たに村独自の氏神社である、
「穴織神社(伊居太神社)」と「呉服神社」を造ったのでございます!
(穴織宮拾要記に書かれております)
ハイ🖐これがまさしく今回の調査対象の五月丘の呉服神社の真相です!
そして、本家の方には参詣しなくなりました。
なんと!呉服神社だけでなく、
セットで穴織神社(伊居太神社)まで造っていたのです
早速、グーグル地図で見てみると、、、のっております(^^)/
池田には織姫伝説というのがあって
ものすごく大昔に、外国から洋裁や機織りの得意な2人の女性が池田にやってきて、一応、姉妹ということになってるんですが
姉がアヤハトリ(穴織姫)妹がクレハトリ(呉服姫)という名前がついていて、姉は伊居太神社、妹は呉服神社に祀られているのです。
村切りが行われた時に自分の村にもミニミニの伊居太神社と呉服神社を
つくって、うちらはこっちでお参りしましょう、ということですね。
下渋谷の「上の宮」と「下の宮」
穴織神社を上の宮さんと呼び、八幡さんと皇太神宮が祀られており
呉服神社を下の宮さんと呼び、庚申さんが祀られているということです。
本当に、本家の方と同じシステムになっておりますね
私もこれを書き進めながら、
「へー!」「ほー!」とつぶやいてしまいました(@_@)
今回は呉服神社しかお参りしてませんが、
近いうちに穴織神社にもお参りして
写真を撮らせてもらってまたご紹介したいと思います!!
最後までお読みくださいましてありがとうございました。
参考文献
池田市史
池田の昔話と年中行事