池田には「池田城」というお城があって
池田市といえば、池田氏なのですが
さて、池田氏は一体いつ頃から池田を治めていたのでしょうか
池田氏が来る前はどんな感じだったのでしょうかー!
いろいろ調べてみてるのですが
途方もない長い歴史があって
ややこしくてよくわからないところが多いのです、、、
簡単にざっくりと時系列を書くと↓このようになります(^^)/
豊かで長い長い縄文時代を過ごしました。
↓
古墳時代は織姫がやってきたと伝わる時代
狩が上手で騒がしい佐伯部という集団が五月山にいました。
↓
500年頃には大陸から秦氏がやってきて
池田にも居住するようになり
秦氏のために600年頃まで古墳がたくさん作られます
↓
平安時代は漢氏系の坂上氏が開発領主になります。
↓
鎌倉時代に池田氏が坂上氏にかわり池田を支配するようになりました。
池田城主9代目の池田勝正が織田信長に敗れ池田は火の海に。
詳しく見てみましょう
一番古い歴史は、マチカネワニでございます(豊中ですが、、、)
45万年前頃の
マチカネワニ化石が豊中市で見つかっています。
待兼山とマチカネワニ
2万年ぐらい前に
池田に人が住みはじめたのではないかと考えられているようです。
池田で一番古い遺蹟「石橋の宮ノ前遺蹟」に形跡があります。
2万年って想像つきませんが、石器などの遺蹟が出てるので
人が生活してたのは間違いないのでしょうね(^^)/
1万2000年前頃は
土器が使われていました。市内のあちこちで出土しています。
豊かな縄文時代は8000年という途方もなく長い間続きました。
紀元前300年頃には、
稲作が始まったのが木部遺蹟からわかりました。
紀元前200年頃には
大きな集落ができたようです。
300年はじめ頃
織姫がやってきたことになっています。
童話を書いたのでよかったら読んでみてくださいませ。
織姫伝説☆ファンタジー
300年頃
狩猟を得意とする佐伯部という集団がいました。
池田の一番古い集団の記録は賑やかな佐伯部
400年頃
茶臼山古墳築造
茶臼山古墳を散策/前方後円墳で柄鏡式
500年頃
大陸からやってきた秦氏が猪名地方(池田も含まれる)に進出
今で言う伊居太神社の元を祀る
五月山の隠された鉱業資源の開発にあたった。
600年頃
双子塚古墳など多くの古墳が築造される。
古墳は秦氏の関係の墓と思われる
この頃、日本に仏教がやってきました。
仏教がやってくると、古墳よりも寺院の建築が盛んになります。
スーパー僧侶の行基が活躍したのはこの頃です。
二子塚古墳(稲荷山古墳)
1100年頃 (平安時代中期)
漢氏系の坂上氏が呉庭と名付け開発領主になる
池田地方を抑えるために系譜上の始祖である阿知使主と都加使主を祀り、
その輝かしい織姫導入の功績を顕示した。
秦氏が祀った秦上社(伊居太神社と呉服神社)を損なうことなく
その上に祀ることで自らの威厳を唱えた
1300年頃(鎌倉時代)
池田氏が池田に進入
池田氏が坂上氏をどのように追い出したのかはわからない。
初代は池田教依で織田信長に攻められて落城した勝正は9代目。
さて日本で一番古墳が多い都道府県はどこでしょう?
平成28年の文化庁の調べでは、兵庫県が1位です(^^)/
1位)兵庫県:18851
2位)鳥取県:13486
3位)京都府:13016
4位)千葉県:12765
5位)岡山県:11810
6位)広島県:11311
7位)福岡県:10754
8位)奈良県:9700
9位)三重県:7025
10位)岐阜県:5140
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
池田の歴史の流れを本当に簡単に書いてみました。
間違ってるとこあったらお知らせくださいませ<(_ _)>
参考文献/新修池田市史・池田学講座