池田の明治時代、旅館は、、、
古いところでは角糸楼(かどいとろう)
明治9年には、めん茂楼が開業し
明治10年に都楼(みやころう)
その後からも池田には、続々と旅館や料亭が建ち並んだそうです。
大正10年に発行された
池田町便覧の中に都楼の広告らしきものがありました。
写真はわかりにくいですが、よく見るとたくさんの人の姿が見えます。
写真の建物には都商店とあるので、都楼の南隣に建てられた店舗と思います。
都楼は明治10年の開業で
料理旅館業としては角糸、富士市と並ぶ。
楼主は藤井福松氏
呉服検商事、池田興業などの重役を勤める。
大正7年に都楼の南隣に都商店を開業
和洋酒食料品、小間物雑貨等の販売業を営み
北摂随一のデパートメントストアとして繁昌する。
櫻正宗、アサヒビール、三ツ矢サイダー、銘酒都踊などの特約店として
販路多く、顧客も多かった。
赤丸が都楼、青丸がうどんのあずまです。
このあたりから、西之口あたりは
明治7年に呉服座ができたり
池田の西の入り口と言われて、賑わった場所でした。
以前、こんな記事を書いています↓
大正時代にも百貨店があった!西之口町百貨店
明治時代、池田にあった旅館について調査中です(^o^)
また何か新しいことがわかりましたら追記していきます。
富士市楼についてはこちらをどうぞ
参考文献/新修池田市史 池田町便覧